時代をつないで 大阪の日本共産党物語

第97話 市民と野党の共闘の広がり

安保法制のもとで 

「おおさか1万人集会」参加者によるデモ行進=2015年7月18日、大阪市北区内

 2015年9月19日、安倍内閣のもとで、集団的自衛権行使を容認する「安保法制」が参院で強行されました。日本共産党はその日に中央委員会総会を開き、安保法制廃止へ、「国民連合政府」の樹立、野党共闘と選挙協力をよびかけました。
 大阪でも衆院強行採決後、7月18日には「戦争法案は廃案に! おおさか1万人大集会」が開かれ、19日には若者たちの「民主主義と生活を守る有志(SADL)」、関西圏の学生らでつくる「SEALDs KANSAI」がよびかけたパレードに8200人が参加しました。安保法制に反対する学者1000人の会、ママの会、高校生ティーンズソウル・ウエストなどが次々と立ち上がり、「♪野党は共闘 ♪市民も共闘」の声がわきおこりました。

16年参院選――共闘のかけはし    

 16年2月、5野党の党首会談で「安保法制廃止」「安倍政権打倒」「国政選挙で現与党と補完勢力を少数に追い込む」ことが合意されます。維新とのたたかいも野党共通の課題にすえられました。日本共産党大阪府委員会は社民党、自由党両府連との「定期協議」を重ねます。「関西市民連合」などが呼びかけた共同宣伝には民進党もそろって訴えました。
 7月の参院選で、日本共産党は大阪選挙区候補にわたなべ結を擁立します。海外留学、視察の経験も活かし、「安保法制廃止」「慰安婦問題をはじめ歴史修正は許さない」と平和を求める訴えを響かせました。「野党共闘の力で、わたなべさんを国会へ」と15年12月、箕面の演説会で社民党府連代表の服部良一がよびかけます。応援の輪は、元大阪市長の平松邦夫、生活の党・元衆院議員の渡辺義彦、「民意の会」代表の浅野秀弥、サンリット株式会社社長の小池俊二など、垣根を超えて広がりました。
 わたなべは45万4205票、次点でしたが、このたたかいは大阪での「市民と野党共闘」への新たなかけはしとなりました。

17年総選挙――野党候補一本化へ   

 17年10月、衆院解散とともに民進党が「解党」するという激動、逆流が起こりました。日本共産党は「ブレずに共闘」をつらぬき、まず社民党、そして立ち上がった立憲民主党との「野党候補一本化」を進めます。
 大阪では社民党と大阪3区・9区で相互協力。2区・16区では立憲民主党候補、11区でも無所属候補に一本化するために日本共産党候補を降ろしました。各地区委員会では激論を交わしながら、「野党共闘の大義」を貫く態度を決しました。6区・10区を含め、6選挙区で野党候補を一本化しました。
 総選挙では日本共産党は大阪の比例代表得票を31万6651票、近畿ブロックは2議席に後退させました。しかし、一本化した野党候補2人が小選挙区で、3人が比例代表で当選します。
 「共産党の石谷ひさこさんが、大義のために自分は降りると言われたとき、その思いを受けて頑張ろうと決意を新たにしました」(大阪2区・尾辻かな子)、「『見返りは民主主義だ』というのを聞いて、そういう大局的な視点で政治や選挙をとらえておられたんだなと、あらためて共産党の考えに敬意を表しました」(大阪6区・村上史好)、「共闘の思いがこもる議席」(大阪16区・森山浩行)と声が寄せられました。
 総選挙では、維新は比例得票を114万票から93万票に減らし、小選挙区での当選は3議席にとどまりました。(次回は「『二重の逆流』とのたたかい」です)

(大阪民主新報、2022年6月26日号より)

 

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