時代をつないで 大阪の日本共産党物語

第76話 98年参院選の躍進

記録ずくめ    

初当選し万歳三唱をする宮本たけしさん(中央)。その右は比例候補として奮闘した上田英子さん=1998年7月11日

 1998年7月11日投票の参議院選挙。日本共産党は記録ずくめの躍進を遂げます。
 全国では、比例代表選挙で過去最高の820万票(得票率14・7%)を得て第3党に躍進。改選6議席の2倍以上、15議席(比例8議席、選挙区7議席)を獲得し、非改選の8議席とあわせ過去最高の23議席となり、予算を伴う法案提案権を得ます。
 大阪では、比例代表選挙で77万3856票を獲得、95年(41万9540)の約2倍に。大阪選挙区では宮本たけし候補が72万5365票を得て勝利。95年の山下よしき勝利に続き、“表裏”とも議席を得ます。
 比例代表選挙では、大正区・城東区・西淀川区・生野区・東大阪市・八尾市・柏原市・忠岡町で第1党になりました。それは97年10月の府党会議で打ち出した「大阪で第1党に」(大幡基夫府委員長)という目標の現実的展望をひらくものでした。5月の泉佐野、泉南両市議選勝利で府内の党地方議員数は公明党に並び第1党となりました。
 自民党は、大阪で議席をなくしたのをはじめ、改選議席を16減らして、半数を大きく割りこむ103議席に。比例代表選挙の1413万票(得票率25・2%)は結党以来の最低でした。

「自共対決」を貫いて

 日本共産党は97年に開かれた第21回党大会をへて、不破哲三委員長が「ゼネコン50兆円、社会保障20兆円」の逆立ち財政の転換、「ルールなき資本主義」の転換、「アジア外交」の展開など、「日本改革論」をうちだし、反響を呼びます。
 かたや自民党は、橋本龍太郎内閣のもと、97年4月に消費税が5%に引き上げられたことや、新「日米ガイドライン」「銀行支援30兆円」などが大きな批判にさらされていました。新進党も内部亀裂から97年に解党していました。
 参院選は激烈でした。自民党候補は関西財界ぐるみを強め、「私が負けたら、ますます経済不安定に」と叫び、公明党は創価学会ぐるみで大阪集中作戦をとり、週刊誌には“新幹線の全車両の半分以上を占める列車も”などと記事がでました。
 大阪府委員会は「自共対決が主軸」との構えを鮮明に、消費税を3%に戻す緊急政策をかかげ、増税に怒る「町の社長さんアピール」などをうちだし、「宮本たけしパンフレット」には漫画「ナニワ金融道」作者の青木雄二、週刊釣りサンデーの小西和人、初代環境庁長官の大石武一らが登場し、日本共産党への熱い期待を語りました。
 比例代表候補25人の1人、上田英子(元大阪保育運動連絡会事務局長)は「子どものこと、介護のことなど体験をまじえ党の政策を語ったら、どこでもよく聞いてくれた。子どもたちが指を3本たて、“消費税3%に”と応援してくれた」と語ります。
 メディアも、「なにわ共産旋風」「最大の勝因は…自共対決の構図を鮮明に押し出したこと」(「読売」)と評しました。

今夏の参院選で再び

 歴史的勝利を、宮本たけしはこう振り返ります。
 「消費税増税など9兆円負担増への国民の怒りが沸騰し、『2大政党』を標榜した新進党が3年で解党。どこでも日本共産党への期待が高まり、無名の新人だった私が『日本共産党の候補』というだけで当選させていただいた。今夏の参議院選挙でも『比例を主舞台に』を肝に銘じて、たつみコータロー必勝を何としても」(次回は「東大阪・長尾民主市政の誕生」です)

(大阪民主新報、2022年1月23日号より)

 

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