時代をつないで 大阪の日本共産党物語

第66話 88年参院補選・吉井勝利

「砂利船汚職」   

 1988年1月15日、公明党の田代富士夫参議院議員(大阪選挙区)が議員辞職を参院議長へ伝えます。「砂利船汚職」――全国砂利石材転用船組合から1千万円の賄賂を受け取っていた疑いで、大阪地検特捜部の取り調べを受けたことによるものです。関空建設にともなう砂利、石材運搬需要の増大をみこした利権がらみでした。
 参院大阪選挙区の補欠選挙が2月10日公示、28日投票でたたかわれます。大阪府委員会は87年の参院補選(現職議員の死亡によるもの)で敗れた雪辱を期し、吉井英勝を擁立します。
 1月21日、府活動者会議で菅生厚府委員長は、「一議席をめぐる争奪戦で、党が勝利することは73年のくつぬぎ勝利以上の深い意味をもつ。大阪から『戦後第二の反動攻勢』をうちやぶる転機をつくったといえる。壮大な歴史的事業に参加することのできる誇りと喜びを全党員のものにして臨もう」と檄をとばします。

科学者議員として 

 吉井英勝。1942年生まれ。京都大学工学部・原子核工学科卒。民間企業に勤務し、東大原子核研究所などに研究生として派遣されます。71年から3期堺市議、83年から1期大阪府議を歴任。「科学者議員」として誰もが一目置く存在でした。
 堺・臨海コンビナートや関電「多奈二」問題、「関空」問題など、府委員会の政策活動にも加わり、「科学の目」をつらぬいて問題点をうきぼりにしていきます。同時に、現実政治を動かすためには国土計画や地域経済などを含めた政策能力を高めることの必要性を痛感した、と吉井はふりかえります。

ハマコー暴言   

参院補選で当選を決めた吉井英勝氏に、喜びのあまり抱きつく藤田スミ衆院議員=88年2月28日、大阪市天王寺区内

 補欠選挙の最大の争点は竹下内閣による「大型間接税」、そして補選の原因をつくった「利権・腐敗ノー」でした。大阪業者後援会を担った小川直登は、「大型間接税はあかん。それと定数1で勝つことが反共攻撃への最大の反撃になる。業者は共産党以上にがんばったで(笑)」と語ります。
 さらに公示直前、2月6日の衆院予算委員会で、日本共産党の正森成二議員の質問中、予算委員長の「ハマコー」こと浜田幸一が、質問を一方的にさえぎったうえ、「宮本顕治は殺人者」ととんでもない反共デマをくりかえしました。この時、冷静沈着、諭すように暴言を批判する正森に、一部上場企業の社長が「重役全員が正森さんのいうことが正論だとなった。ハマコー辞職までがんばって」と語るなど大きな反響をよびます。共産党と後援会は「この怒りを吉井必勝で」と燃え、党外からも「徹底的に追及を。参院補選でがんばって」などの激励があいつぎました。
 投票結果は吉井45万5064。東武(自民党)、谷畑孝(社会党)に競り勝ち、見事に勝利します。
 「大増税反対!」、おごる自民党へのきっぱりした審判が下りました。共産党の大阪選出衆参議員は8人となり、公明党と並んで第一党になります。
 吉井の初登院は不破哲三ら議員、秘書ほぼ全員が出迎えました。歓迎集会で司会した副委員長の小笠原貞子は、「村上委員長はまるで本人以上に興奮している」と冷やかし、吉井のあいさつの途中、藤田スミは思わず涙ぐみました。
 2月23日の参院本会議、吉井はさっそく初質問に臨み、大型間接税の導入断念を迫りました。(次回は「リクルート・消費税・天安門事件」です)

(大阪民主新報、2021年11月7日号より)

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