時代をつないで 大阪の日本共産党物語

第77話 東大阪・長尾民主市政誕生

 1998年7月12日の参院選投票日。大阪から、もう一つの歴史的勝利――52万都市・東大阪市での「共産党員市長誕生」の報が全国を駆け巡りました。党市議団幹事長を辞して挑んだ長尾淳三、2回目での勝利でした。衝撃波は、独誌『シュピーゲル』が報道するなど、国境を越えました。

いっぺん共産党に 

市民の歓声と拍手に包まれて初登庁する長尾淳三さん=1998年7月14日

 89年市長選で生田五男が47・4%の得票率を得るなど運動が積み重ねられていた東大阪市で、党員市長を生み出した原動力は、「不正と腐敗のデパート」といわれた清水市政への怒りでした。自宅横に税金で「錦鯉が泳ぐ水路」がつくられ、国保料が払えない市民の保険証を取り上げ「死ぬんやったら勝手に」と言い放つ市幹部がテレビに映る――「東大阪」の名が悪い形で全国に知らされました。
 98年春、清水市長が電磁的公正証書原本不実記載容疑などで逮捕される事態に、市民の怒りが沸騰します。「清水に入れたが、東大阪の恥や」「今度は長尾。いっぺん共産党にやってもらわな」と声が広がります。
 清水与党三派(自民、公明、民主)は、元NHK職員を担ぎ、「共産党市政を許すな」の大合唱でした。党と「会」は不破哲三委員長を迎えた街頭演説を4千人で成功させ、「長尾パンフ」や機関紙を全戸配布で連打しました。長尾は躍進した参院比例票の2倍、市長候補として最高の9万9471票を獲得、相手陣営と4倍以上あった力関係を覆しました。

全事業所訪問   

 就任した長尾市長に対し、議会多数の野党三派の妨害は、常軌を逸しました。国保料引き下げ予算を「ドブに捨てるようなもの」と否決、「公約見直し」を迫り審議ストップさせる、党の大演説会にあわせて議長が突如、臨時議会を招集し、市長の演説会出席を妨害する――。
 そのなかでも長尾市政は実績を重ねました。職員採用をめぐる不正を防ぐ「東大阪方式」は府内にも広がり、公共事業の入札制度改革で最大28億円の税金を節約。全国で初めて介護保険の現場調査をおこない、NHK「クローズアップ現代」でも紹介されました。なかでも中小企業の街・東大阪で3万件以上ある事業所すべてを市の幹部職員が2年がかりで訪問・実態調査したことは画期的でした。予算に占める中小企業予算の比率が前市政の1・5倍になり、インターネットを利用した「技術交流プラザ」を開設。不公正な同和行政にもメスを入れました。

民主市政ふたたび 

 長尾は、2002年の市長選では野党三派の前に敗れます。しかし06年7月、現職に979票差で競り勝ち、全国に例のない党員市長“返り咲き”を果たします。「会」の「市政アンケート」に続々返信が届き、その7割が「現市政に不満」。「市民税が10倍に。年寄りは死ねということか」などの声が相次ぎ、現職陣営から「あのアンケートにやられた」との声もでました。
 2期目の長尾市政は07年9月、野党三派による不信任決議を強行されます。ある保守の長老はこれを批判し、「私はあんたが市長を続けてくれていいと思っている」と激励します。「なんでやねん不信任」「長尾さんでええやんか」をかかげた市長選は2366票差で惜敗しましたが、長尾が市長としてかかげた「市民と市役所が信頼し、影響しあい、高めあう市政」への共感は確実に広がりました。(次回は「男女賃金差別撤廃を求めて」です)

(大阪民主新報、2022年1月30日号より)

 

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