時代をつないで 大阪の日本共産党物語

第51話 府政に涙とロマンを

 第2期黒田革新府政は、75年秋に新たな財源確保策として大企業への「超過課税」を実現、岬町に青少年海洋センターを建設、77年には能勢ナイキ基地を断念させて翌春に「能勢の郷」をオープン、78年には「母子保健センター」建設に着手、府立高校建設は8年間合計で56校まで建設させるなど、着実な実績を積み上げていきます。

ハーモニカバンド「青い鳥楽団」   

『ハーモニカの歌』出版記念集会であいさつする近藤宏一さんと黒田知事=79年3月25日

 このなかで光を放ったのは、「府政に涙とロマンを」をかかげた黒田知事の政治姿勢でした。
 岡山県にあるハンセン病療養施設・長島愛生園――西淀川区にあった外島保養所が1934年の室戸台風で全壊。4年後に岡山県邑久郡に「光明園」として復興したのが前身でした(外島保養所で「左翼患者」が弾圧された歴史なども「外島保養院の歴史をのこす会」のみなさんが記されています)。
 その長島愛生園でハーモニカバンド「青い鳥楽団」が生まれ、目と手足の指を損傷しながら、点字の楽譜を舌で読み取り、魂のハーモニーを奏でていました。このバンドを、黒田知事が75年大阪府主催の「憲法とくらしを考える夕べ」に招待します。指揮をとった近藤宏一は大阪出身者でした。幕間で、黒田知事が近藤にかけた「病気が治ったら故郷の大阪に帰ってきていらっしゃい」は、終生忘れられない言葉だったといいます。

「憲法と福祉」講演 

 「夕べ」では、「青い鳥楽団」の演奏のあと、黒田知事の「憲法と福祉」講演が始まります。
 「憲法25条には社会福祉、社会保障を国の責任において、同時に地方公共団体の責任において、推進しなければならないという趣旨がのべられている。革新府政1期目いらい、この世でもっとも深く病み、傷ついた人の心を行政のこころにしようと訴えながら府政をすすめてきた」「ハンセン病の方々も私達も同じ人間であり、そうしてその人達も生きがいをもって、活動できるような状態をつくる事について、私達は共同の責任を負わなければならない、その事によってのみ私達自身が本当に幸せになれるという、そういう福祉の考え方について、ご理解を一層深めて頂きたい」(近藤宏一『ハーモニカの歌』所収)
 のちに79年知事選で、対立候補の岸昌は「いくら空をきれいにしてもメダカやホタルは税金を払わんじゃないか」と言い放ったことがありました。これにも黒田知事はきっぱりと答えます。「私はその考えには反対だ。税金を納められないお年寄りや仕事につけない人、障害者、難病患者、こういう人たちのためにこそ行政の意義がある」。
 黒田革新府政の精神は、「個人の尊厳を守る政治」をかかげる日本共産党のたたかいにいまも脈々と受け継がれています。

愛生園支部のみなさんと       

 長島愛生園には日本共産党支部があります。75年知事選勝利、そして2001年ハンセン病国家賠償訴訟の勝利が確定した時、党員ではない近藤も、党支部のみなさんとともに乾杯したといいます。
 83歳の生涯を閉じるまでハンセン病問題の啓発につくした近藤に2007年、ウェルズリー・ベイリー賞が贈られました。スイスでの授賞式で近藤は「社会的に何一つ報われることなく亡くなった多くの仲間達…彼らが初めて世界的に認められた」と語りました。(次回は「反共の逆流に抗して」です)

(大阪民主新報、2021年7月17日号より)

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