時代をつないで 大阪の日本共産党物語

第29話 60年安保

フランスデモ   

御堂筋で行われたフランスデモ(「しんぶん赤旗」提供)

 「新緑のイチョウ並木にこだまする/岸退陣のどよめきの声」(「朝日新聞」1960年6月11日付夕刊の投書欄から)。
 御堂筋の車道いっぱいに、手に手をとって行進する隊列(いわゆるフランスデモ)が幾重にも――「60年安保」のたたかいは、60年代を迎えた日本における最大の国民的闘争でした。
 岸信介内閣が60年1月、ワシントンで新安保条約に調印します。アメリカ軍による日本の半占領と侵略基地化はそのまま。新たに日本の軍事力の増強、日米共同作戦の義務、経済面での対米協力まで義務づけるものでした。

「安保共闘」のもとで

 59年3月、「安保条約改定阻止国民会議」(安保共闘)が日本共産党、社会党、総評、中立労連、全日農など民主諸団体が結集し、地域共闘組織は2千をこえます。
 大阪では7月4日、安保条約改定阻止府民共闘会議結成総会を開催。幹事団体は、日本共産党・社会党、大阪地評・大阪原水協・全大阪青年婦人学生会議・大阪平和を守る会・護憲連合・全日農大阪府連など12団体。中央では共産党は「オブザーバー」とされましたが、大阪では対等な形でした。地域共闘組織は39まで広がります。
 安保共闘成立の背景には、58年に教員の勤務評定や警察官職務執行法(警職法)改悪に反対するたたかいがとりくまれ、警職法改悪案が民主勢力の共闘の前進のなかで廃案となるなど、たたかいの前進がありました。
 安保共闘の統一行動は1年半以上、23次にわたります。
――60年5月26日、大阪府学連の全大阪学生総決起大会(大手前公園)が1500人で開かれ、府民共闘会議の「安保批准阻止・大幅賃上げ・三池支援総決起大会」(扇町プール、3万人)にデモ行進で合流。
――6月4日、「安保粉砕・国会解散・岸内閣打倒・府民総決起集会」(扇町公園 6・5万人)。府立高校生約2千人も参加。
――6月10日、「新安保粉砕・岸内閣打倒・国会解散・アイク(※ アイゼンハワー米大統領の通称)訪日反対・全大阪青年婦人総決起大会」(扇町公園)に9千人。
――6月18日、15万人の総決起大会。5回にわけて御堂筋を南下。難波球場までフランスデモ。デモは21日、22日も。
――6月22日、国鉄とともに阪急・阪神・京阪などが始発から時限ストライキ。官公労が140カ所、民間65労組は2万8千人がストや集会。約2千軒の民商会員が「閉店スト」で呼応。
 これらの行動には、「職安で時間内ストをおこなったときに、失対労働者が長蛇の列をなしていたが、説明すると連帯の拍手や『頑張れ』と声援があった」「学生が日本民族の誇りをと、赤とんぼの歌を歌いながら行進していた」「高校生たちは上級生が外側、下級生は内側。先生方も保護のために参加した」など、無数のドラマがありました。

岸退陣      

 安保条約は5月20日午前0時すぎ、自民党が警官隊を衆議院内に導入する中で単独採決を強行、6月18日に「自然承認」されます。しかし、空前の国民的たたかいの前に、アイゼンハワー大統領は来日を断念せざるをえませんでした。その回顧録には、「私は失望せずにおれなかった。いかなる角度から見ても、これは共産主義者の勝利だった」と書かれました。岸内閣は条約批准直後の7月10日に総辞職しました。(次回は「高度経済成長のなかで」です)

(大阪民主新報、2021年2月7日号より)

 

コンテンツ