時代をつないで 大阪の日本共産党物語

第82話 民間大企業の中で

 民間大企業の中では、「職場に憲法なし」と言われた反共攻撃・思想信条による差別、人権じゅうりんの攻撃に、一人ひとりの生き方をかけたたたかいが展開されました。

職場に憲法をー関西電力で

 関西電力は、1960年代から日本共産党とその支持者に対して、「特殊対策」と賞する労務政策をとり、尾行をはじめとする監視、各種行事からの排除、賃金・昇格差別、仕事のとりあげ、転向の強要をおこなってきました。中尾昭一は、「組合の行事で天橋立に行ったら、課長が呼び出して、『集会でこんなこと、いうたやろ』という。帰路、2人の〝見張り番〟がついてきたこともあった」と語ります。
 71年に松本育造ら4人が「思想差別をやめよ」と提訴し、88年から97年にかけ61人が関西の各地裁へ、賃金差別是正などを求めて裁判を起こしました。最高裁は95年、「職場における自由な人間関係を形成する自由を侵害した」と関電を断罪します。関電は、それでも謝罪や、処遇改善をおこなわない態度をとりますが、ついに追いつめられ、99年12月、人権侵害と差別の不当性を全面的に認め、原告完全勝利の和解が成立しました。
 日本共産党は、関電判決について、「反共思想差別をテコとした労働者支配が崩れつつある。日本の労働運動の前進と発展にとって、はかりしれない重要な意義をもつものである」とのべました(第21回党大会)。

クラボウで

 クラボウでは、伊藤建夫と宮崎周吉が「研究員としての仕事をとりあげ昇格させないのは、日本共産党員であることを理由にした思想・信条への差別だ」と、2000年4月、提訴に踏み切ります。1967年、研究職として入社した伊藤にたいして、クラボウは研究者としての仕事をとりあげ、芝刈り、草抜き、蛍光灯ふきなどの「見せしめ」を続け、「隔離部屋」に入れます。71年技術職として入社した宮崎は浜松にとばされ、「退職せよ」の大合唱、他社への出向など遠隔地への隔離が続きました。2人とも昇格はストップしたままでした。
 「研究職を外されたのが一番こたえたが、逆にバネになった」(伊藤)と、「クラボウ人権裁判支援共闘会議」「クラボウの思想差別をなくす会」の支援の輪のなかで闘い続け、05年3月、「共産党員差別をやめる、憲法・労基法に従う」とクラボウが表明し、原告側全面勝利で和解しました。

大リストラに立ち向かう

 民間大企業では、政府にリストラ応援政策のもと、「人減らし・リストラの嵐」が日本列島を吹き荒れました。
 NTTでは、01年4月、社員11万人の大規模リストラを計画します。50歳以上の労働者に、退職して賃金2~3割減で外注子会社に再就職(転職)せよと迫り、NTTに残留する場合は、広域配転が条件としました。
 「退職・再雇用」を拒否し、「NTTで働き続ける」を選択し、大阪から名古屋に配転された原告17人のたたかいで、最高裁は、「(大阪から名古屋までの)新幹線通勤又は単身赴任の負担をおわせる配転を実施してまで」「業務上の必要性を認めることはできない」と断罪しました。新幹線通勤の年間定期代は、1人170万円でした。
 それぞれの民間大企業での職場のたたかいが労働者の権利とくらしを守り、職場に自由と民主主義を確立する大きな礎となりました。(次回は「党綱領改定のもとで」です)

(大阪民主新報、2022年3月6日号より)

 

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