時代をつないで 大阪の日本共産党物語

第7話 侵略戦争反対のたたかい

「満州事変」に   

 「反共は戦争の前夜」。天皇制政府は治安維持法で日本共産党と平和、民主主義をかかげた運動を弾圧し、抑えつけながら、1931年、中国の東北地方にたいする侵略を開始します(「満州事変」)。15年におよぶ侵略戦争の始まりでした。
 「満州事変」に、日本共産党は創刊された機関紙「赤旗(せっき)」で、「帝国主義戦争反対、中国から手をひけ」とよびかけます。当時、他の政党や労組・団体、あらゆるメディアが「満蒙の権益」を叫び、侵略戦争を容認・美化する態度をとるなかで、党員たちの不屈の、命を賭してのたたかいが展開されます。

軍隊にビラを配布 

 侵略戦争に反対するたたかいのなかでも、特記すべきは軍隊にたいする直接の宣伝行動でした。
 藤原彰『天皇制と軍隊』は、「活発な対軍隊工作をおこなったのは、日本共産主義青年同盟の関西地方委員会であった」とのべています。たとえば1927年12月、翌年1月の入営期を前に2年兵に訴える反軍ビラを歩兵第8連隊、歩兵第37連隊の兵営に投入。1930年2月、信太山の野砲兵第4連隊のなかで「兵士委員会」を組織し、「親愛なる兵卒諸君に告ぐ」「日本共産党は資本家地主の利益のために労働者農民を虐殺する帝国主義戦争には絶対反対だ!」のビラを敢然と配布――。
 日本共産党発行による「兵士の友」では、兵士には「軍服を着た労働者、農民」として接近すること、軍隊のなかでの要求をつぶさにつかみ、活動せよとのべ、「一年兵役短縮の即時実施、除隊後の復職」「過酷な使役勤務をやめろ! 充分の睡眠と休養を与えろ!」「無茶な私刑体罰をやめろ! 横暴下士官、将校を厳罰にしろ!」などの要求スローガンがかかげられました。そして「諸君の親兄弟、労働者農民に銃を向けるな!」とよびかけられました(藤原彰『資料 日本現代史1 軍隊内の反戦運動』)。

『聳ゆるマスト』  

和泉市黒鳥山公園のそばにある阪口喜一郎の顕彰碑

和泉市黒鳥山公園のそばにある阪口喜一郎の顕彰碑

 大阪の和泉市黒鳥山公園そばには、この地に生まれ、広島・呉の兵営や軍艦に日本共産党の組織をつくり、機関紙「聳(そび)ゆるマスト」を発行してたたかった阪口喜一郎の顕彰碑があります。阪口は1933年12月、広島刑務所で獄死します。まだ31歳でした。その没後50周年に和泉市と広島のゆかりの方々、治安維持法同盟大阪府本部のみなさんの手によって建立されました。土地は、阪口と同級生だった高田春次が提供しました。
 阪口は、1920年に呉海兵団にはいり、兵営内で社会科学の研究グループをつくって活動しますが、「満州事変」の直前、治安維持法違反容疑で検挙されます。当時、海軍二等機関兵曹でした。海軍を追われた彼は、呉海軍水平対策委員会をつくり、「聳ゆるマスト」を1932年2月に創刊し、第6号(同年10月)まで発行し、最高100部を配布しました。山岸一章『聳ゆるマスト 日本海軍の反戦兵士』や小栗勉『聳ゆるマスト 史伝小説』は、その印刷と配布に幾多の労働者、若い女性らの献身的な協力があったことをつぶさに伝えます。
 顕彰碑には「反戦平和 不屈の兵士」と刻まれ、毎年一度「碑前祭」が営まれています。
(次回は「大大阪のなかで」です)

(大阪民主新報、2020年8月30日号より)