時代をつないで 大阪の日本共産党物語

第85話 「小泉改革」に抗して

「弱肉強食」の「構造改革」路線    

 2001年に登場した小泉政権は、「大企業のもうけ追求最優先」「規制緩和万能」「市場原理主義」をこととする「構造改革」=「弱肉強食」の「新自由主義」路線をすすめました。
 これに対する府民共同のたたかいが起こります。小泉「医療制度改悪案」に反対し、地域医療推進協議会(府医師会や府薬剤師会、老人クラブ連合会など25団体が加盟)が開いた集会(11月23日・大阪城ホール)には2万人が集い、漫才師の宮川花子も激励に駆けつけます。
 「首切り自由」、派遣労働者の大幅拡大につながる労働基準法・労働者派遣法改悪に対し、大阪の7つの法律家団体が呼びかけた「労働法制改悪阻止」集会(03年5月7日)には連合、全労連、全労協など立場の違いを超えて結集します。大阪労連は非正規労働者への働きかけで、1000人の地域労組の組織化をすすめました。

「三位一体改革」許さず        

 小泉内閣は「骨太の方針」(03年6月閣議決定)で「三位一体の改革」を打ち出します。「国庫補助負担金の廃止・縮減」「地方交付税の見直し」「国から地方への税源移譲」を一体に改革するというふれこみでしたが、実際には、地方への財政支出を削り、福祉・教育など住民サービスを切り捨て、「市町村合併」で自治体統制を強めるものでした。全国の知事会、市町村会、市町村長会から相次いで遺憾と懸念の声があがります。
 これに抗して日本共産党地方議員団は、住民運動と力を合わせ、国の悪政からの「防波堤」として役割を発揮します。00年に介護保険制度ができた当初から介護保険料の自治体独自減免の要求を取り上げ奮闘。大阪での実施率は全国平均を大きく上回りました。乳幼児医療費の無料化も、70年代から30年にわたり続いてきた運動と結び、議会で繰り返し取り上げ、府内全自治体で独自施策を実現させます。大阪市で02年春から乳幼児医療費無料化が就学前までに前進したのも、92年から17回に渡り党議員団が提案してきたものでした。
 「市町村合併」おしつけに対しても、住民投票が実施された8市町のうち6市町(泉南市、阪南市、田尻町、忠岡町、守口市、高石市)で「合併反対」が多数となり、府内での合併成立は美原町の堺市への編入のみで、小泉内閣のもくろみは崩されます。岸和田市では、原昇民主市政のもと、05年に“市の憲法”とされる自治基本条例が施行されます。審議会委員を市民から公募することや、定住外国人を含む18歳以上の住民投票権などを初めて明記し、全国から注目されました。

1人区、2人区、3人区で      

大阪市議選福島選挙区でトップ当選し、支持者らと喜ぶ清水忠史さん(中央)=07年4月8日、大阪市福島区内

 07年統一地方選で、大阪の日本共産党は、前後半戦で6議席増と躍進します。直後の中央委員会総会では、「府議選、政令市議選の1、2、3人区で合わせて10人を当選させた大阪」と紹介されました。大阪市議選で、定数2の福島区でトップ当選した清水忠史は「小泉改革で『ワーキングプア』とよばれた非正規労働者など貧困が広がるなか、大規模開発の破たんや乱脈同和行政への怒りが広がった。そのなかで生活相談と厚生年金病院廃止反対などの住民運動、徹底した宣伝をくりひろげ、『オール与党ではあかん。共産党が勝たんと』と信頼と共感が広がった」とふりかえります。(次回は「『オール与党』が崩れて」です)

(大阪民主新報、2022年3月27日号より)

 

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