時代をつないで 大阪の日本共産党物語

第14話 朝鮮からの強制連行

生國魂(生玉)さんの地下壕

 生國魂(いくくにたま)神社といえば、大阪市内どまんなか。地下鉄「谷九」駅下車、「彦八まつり」でも知られます。その隣の生玉公園に1942年、朝鮮人を強制連行して掘った地下壕跡(幅9m、高さ6・5m、長さ24m)があります。『朝鮮人強制連行調査の記録・大阪編』(朝鮮人強制連行真相調査団・編著)によれば、調査団が発掘したのは91年のこと、会合にたまたま居た李鉉珠さんが「生玉で地下壕工事をやった」と語ったことから追跡したものです。「大阪城にある(砲兵工廠内の)陸軍第4師団の司令部を移すのが目的」だったとか。慶尚南道などから半強制的に連行されてきた朝鮮人が大量動員され、「理想的都市防空壕」とされましたが、市民が避難することは許されませんでした。

タチソから岬町まで

当時の通気口がいまも残る生玉公園の地下壕跡。近くには1996年設置の府・大阪市の銘板が。

当時の通気口がいまも残る生玉公園の地下壕跡。近くには1996年設置の府・大阪市の銘板が。

 大阪での「朝鮮人連行」問題の記録をたどると、とくに終戦間際の軍事施設づくりに駆り出しての過酷な労働の実態が発掘されつつあります。
 高槻市の「タチソ」(旧陸軍高槻地下倉庫)では家族ぐるみの移住者が多く、44年11月から翌年8月までで3500人ともそれ以上ともいわれる朝鮮人労働者が投入され、そのなかで50人の死亡者が確認されています。多奈川村(現岬町)では、日中戦争が泥沼化していた38年、川崎重工業泉州工場に秘密艦船工場を建設することになり、45年8月までに潜水艦12隻などを建造します。ここでは最盛期、従業員に加え、徴用工・動員学徒・挺身隊などで4700人を数えたとされます。
 42年2月からは「朝鮮人労務者の供出及輸送事務を一元化する所謂官斡旋募集」によって、いっそう暴力的な強制連行に移行し、炭鉱・鉱山や土建業だけでなく、重要工場にも就労させられました。44年9月からは、「徴用」方式による強制連行を実施しました。
 徴用の記録は、「社史」にも多く残ります。
 ――久保田鉄工では42年ごろから。44年3月では284人。大和製鋼は43年9月から44年にかけて3回、計約500人。住友金属工業は44年末、住友電気工業は44年3月に軍部に進められて伊丹製作所にだけ受け入れた。光洋精工も44年9月205人(『大阪社会労働運動史 1巻』)。
 在日朝鮮人は大阪で40年31万7734人を数え、当時、京城府(現ソウル)に次ぐ朝鮮人集落地域でした。その大阪で府は34年4月13日の告示で「在住朝鮮人特有ノ俗性ヲ矯正シ生活改善向上ヲ図リテ内地化セシメ、進ンデ至誠報国ノ精神ヲ涵養シ」と「同化政策」をすすめ、「協和会」を設置。「協和会」が荷役労働、工場労働などへの朝鮮人の動員を推進したほか、特高警察の特務機関的存在にもなっていました。在阪朝鮮人の勤労報国隊や勤労挺身隊は、北海道や九州、さらには千島、樺太といった寒冷地にも送り出されました。

植民地支配の犯罪に向き合ってこそ

 いま日韓関係は最悪となっていますが、その根本的原因は、安倍政権が「徴用工」問題でも、日本軍「慰安婦」問題でも、過去、日本が犯した植民地犯罪に真剣に向き合おうとせず、被害者の方々の名誉と尊厳を回復する責任を投げ捨てていることにあります。安倍政権が退陣したなかで、この問題での歴史的解決が問われています。(次回は「大阪商大事件」です)

(大阪民主新報、2020年10月3日号より)