時代をつないで 大阪の日本共産党物語

第72話 阪神・淡路大震災のもとで

死者6434人

甚大な被害を受けた地域で調査する東中衆院議員(右)。後ろはコープこうべ本部だった建物=95年1月21日、神戸市東灘区内

 1995年1月17日早朝、発生した阪神・淡路大震災。死者6434人、行方不明者3人、負傷者4万3792人、住家全壊10万4906棟、住家半壊14万4274棟、全半焼7132棟――戦後最悪の大惨事となりました。大阪でも住宅や堤防が倒壊した豊中市、大阪市をはじめ、吹田、池田、箕面の各市にも災害救助法が適用されました。
 日本共産党は震災発生直後に、「近畿地方震災対策本部」(本部長・寺前巌衆院議員)を設置します。東中光雄、穀田恵二衆院議員らが直ちに現地にかけつけました。
 「倒壊した阪神高速道路の下の国道をすすんで神戸入りします。倒れていないところでも橋脚が傾き、鉄骨がむきだしに」――東中衆院議員に同行した現地ルポ(「民報」95年1月29日付)が惨状を生々しく伝えます。
 大阪府委員会は山下よしき副委員長(参院選大阪選挙区候補)を本部長に地震災害対策本部をただちにたちあげます。1月23日大阪城ホールで予定した「日本共産党躍進のつどい」は中止を決めました。同日開かれた府活動者会議では、救援募金、物資活動とともに、防災への総点検運動をよびかけました。山下副委員長が第1次分、1千万円の救援募金を兵庫県震災対策本部に届けました。
 中央委員会は西淀川区姫島の土地にプレハブを建て、「現地センター」を設置。全国各地からのボランティア派遣、救援物資輸送の拠点にし、開所式には不破委員長、志位書記局長もかけつけました。

防災体制の貧しさあらわに      

 未曽有の震災のなかで、あらわになったのは大都市大阪の防災体制、そして政治の貧しさでした。消防車の数は人口10万人あたりで34・1台。震源地となった兵庫県も86・2台で全国平均を下回っていましたが、大阪府はその半分以下でした。耐震貯水槽の設置は基準さえもたず、市町村まかせに――
 大阪府の95年度予算案は、「りんくうタウン」一事業に399億を投じる一方、震災対策費は総額でその半分180億3千万円でした。
 黒田革新府政当時、府は震度7を想定し対策を研究していました。ところが、岸・中川府政はそれを中断してしまいました。中川知事にいたっては、震災対策本部の席上で、被災者にたいし、「コメと台所があれば自分で炊き出しすればいいのに、その気がない」と暴言をはき、大きな批判を受けます。

95年知事選挙   

 この年の春、大阪府知事選挙がたたかわれます。中川知事は「ヤミ献金事件」と暴言で不出馬に追い込まれました。「オール与党」は「枠組みありき」で官僚出身候補を立てます。これに対して「明るい革新大阪府政をつくる会」は元大阪弁護士会副会長の小林つとむ候補を擁立し、大阪から政治の流れを変える歴史的チャンスと奮闘します。「震災シンポ」で「震度7も想定した震災予防条例制定」などの提言も打ちだし、清潔で、誰もが安心できる府政へと全力投球します。
 選挙戦では、告示間際に出馬した横山ノック氏が「オール与党にレッドカード」をかかげ、勝利します。東京都知事選での青島幸男氏の勝利とともに、〝無党派旋風〟と称されました。「自社公民あいのり府政」への手厳しい審判となったことは明瞭でした。(次回は「無党派との共同の広がり」です)

(大阪民主新報、2021年12月19日号より)

 

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