時代をつないで 大阪の日本共産党物語

第83話 党綱領改定のもとで

第23回党大会   

 2004年1月13日から17日。21世紀最初の党大会、第23回党大会が開かれました。1961年以来43年ぶりに、「民主主義革命論」「世界情勢論」「未来社会論」の3つの点で綱領路線を大きく発展させた党綱領改定がおこなわれました。改定案は03年6月の第7回中央委員会総会で発表されると、党内外で大きな反響を呼び、総選挙をはさみ7カ月にわたる全党討論がくりひろげられました。
 党大会には大阪から99人の代議員が参加。討論で、大阪の損保党組織の田崎澄人は、「利潤第一主義で職場では、時間も、思想も、人間性も奪われている」「いま党が首をすくめていて、職場の仲間に、企業に、産業に未来はあるのか。いまこそ大企業の職場でたたかう党の誇りを示す時」と改定案を徹底議論してきた。「綱領的ロマンを持ち、職場に人間らしさを取り戻す」と発言しました。党大会に向かう運動で、損保党組織は「しんぶん赤旗」100部拡大の目標を超過達成する141部を増やしました。

43年ぶりに改定された新しい党綱領のもとで開かれた日本共産党の第61回府党会議=2004年2月15日

 04年2月の第61回大阪府党会議で、府委員長の山口勝利は、新しい党綱領の未来社会論に若い世代から大きな反響がでていること、党大会でうちだされた「総選挙時比3割増の機関紙拡大」が正面から受け止められ実践が始まっていることを報告。61年の党綱領確定時、全国の中でも困難な党組織の一つだった大阪で、綱領に団結しながら前進してきた大阪府党組織の歴史と伝統をひきついで、新しい綱領にもとづく実践を開始しようとよびかけました。

「2大政党」とのたたかい       

 03年11月、解散・総選挙がたたかわれ、党大会は当初の日程を延期します。この時、日本の政党地図に大きな変化がおこりました。自由党と合併した民主党が、「消費税増税」「憲法改悪」「選挙制度改悪」など、日本の進路にかかわる重大問題で自民党政治と同じ流れに合流します。財界から「体制選択選挙」「マニフェスト選挙」が持ち込まれ、「2大政党」の邪魔になる日本共産党を政界から排除する策略がすすみました。
 日本共産党は、「2大政党」の企みを事実に即して明らかにし、消費税増税と憲法改悪という2つの大悪政に反対し、日本改革をすすめる立場を正面から訴え奮闘しましたが、改選前の20から9議席、近畿ブロックは5から3議席に後退しました。
 翌2004年7月の参院選でも当選は比例代表での4議席にとどまり、大阪選挙区では宮本たけし議員の議席を失います。「自民か、民主か」の「2大政党の壁」が大きく立ちはだかりました。

黒田了一さんとお別れする会     

 03年7月24日、黒田了一元大阪府知事が逝去します。9月2日、桂米朝ら14氏のよびかけで、「黒田さんとお別れする会」が中之島公会堂で営まれ、2100人が参列しました。日本共産党を代表して不破哲三議長は知事選でのエピソードを紹介しながら、「大阪府政の軸足をコンビナートづくりから、住民の福祉を守るという地方自治の本来の立場に引き戻した」と語りました。藤本義一は2期目の選挙で支持したら、「お前はアカか」といわれたが、「私はクロダ」と答えたと語り、元朝日新聞記者の長谷川千秋は、初選挙での勝利を確信していた楽天家としての人柄にふれ、「みんなで力を合わせれば世の中を変えられることを教えてくれた」とのべました。(次回は「『九条の会』誕生」です)

(大阪民主新報、2022年3月13日号より)

 

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