時代をつないで 大阪の日本共産党物語

第60話 岸府政とのたたかい

分からなければ分かるようにする   

 80年代の大阪府知事を担ったのは岸昌でした。黒田革新府政打倒は「関西新空港建設」を狙う関西財界の悲願でした。「自社公民連合」で岸知事を生み出した時、日向方齊関経連会長はこんなコメントを寄せました。
 「岸さんで新空港は促進されよう。中央との関係もよくなるし、関経連も大いに進言してゆく。分かってくれると思うが、分からなければ分かるようにする」(「毎日」79年4月10日付)
 就任間もない4月25日、大商会頭らが知事室を訪れます。そのあと関西新国際空港建設協議会の日向会長ら関西財界との「定期トップ懇談会」が始まります。

公害行政衣替え  

「公害行政衣替え」などについて府議会の代表質問で岸知事を厳しく追及する若林府議=79年6月4日

 岸府政による「変化」の象徴的な表れは公害行政でした。
 79年の「環境月間」の初日(6月1日)、公害点検に出発する職員を前に岸は、語ります。
 「大阪府の公害行政についても衣替えが必要な時期。これからの環境行政はこれまでのppm行政からトータルとしての行政をめざさなければならない。つまり、憎悪と摘発の公害行政から宇宙船・地球号を破滅からどうやって防ぐかに変えなければならない」
 日本共産党大阪府会議員団は6月4日、若林伊太郎府議が岸知事に対する最初の代表質問をおこないます。「公害衣替え」発言はもとより、基本姿勢について厳しく追及します。
――知事選で幻想をあおった「20兆円投資計画」の具体的計画はいつだすのか。それは政府の「新経済社会7か年計画の基本構想」を基礎にしているが、「一般消費税」導入を認めてのものか。
――関西新空港問題で、黒田革新府政は運輸省に「今後の調査の結果、泉州沖に建設することが全く不適当となった場合には、これを撤回し、その規模及び位置について改めて検討する」(「関西国際空港の計画に係る調査の実施方針について」76年9月20日)と確認させた。ところが岸府政は一方的な促進論議をすすめている。
 「大阪民主新報」は、「岸府政 就任して1カ月/はしゃぐ関西財界 労働4団体、『解同』も」に始まって、「岸府政の3カ月 総論かっこよく 各論ぼける 『地方』の主体性はどこに 一般消費税・公害規制 結局は国まかせ」「岸府政の20カ月 自民・財界ベースで空港促進 不明朗で府民に冷たく」と連続キャンペーンをすすめます。

「亀さん」、立つ  

 岸府政に対する最初の府民的審判は83年知事選でした。81年9月30日、「明るい革新大阪府政をつくる会・革新大阪府政をすすめる各界連絡会 合同幹事会」は前社会党府本部委員長の亀田得治を知事候補として擁立することを発表。黒田了一前知事らが「革新府政再建」をよびかけます。その後1年余、府内すみずみの団体・個人から「出馬要請運動」が展開され、東谷敏雄大教組委員長、帖佐義行前総評大阪地評議長、北尻得五郎元日弁連会長ら社会党系の人々が全国的に「亀田さんを励ます会」をつくります。
 亀田候補は財界、自社公民など6党連合を相手に125万374票を獲得。大阪に根強い革新の潮流が生きていることを示しました。その4年後、87年知事選でも、角橋徹也(都市計画家、府職労委員長)が岸との一騎打ちで111万を獲得。80年代をとおして、政党としては日本共産党一党が推すきびしいたたかいのなかでも、「100万」をこえる得票を維持しました。(次回は「軍事費削って福祉・くらしに」です)

(大阪民主新報、2021年9月26日号より)

コンテンツ