時代をつないで 大阪の日本共産党物語

第43話 憲法知事就任

就任記者会見   

 黒田了一知事初登庁・就任会見(1971年4月22日)の録音テープが共産党大阪府委員会に残ります。
 「利潤第一主義の経済の論理、資本の論理でリードされるんではなくって、科学的な行政を推進したい。科学を、行政、産業、国民生活にきちんと反映させる」「もう一つは、府の職員一人ひとりの有能な能力を、フルに発揮していただきたい。その2本の柱にささえられて、府議会の協力も得て、住民の声をくみ上げながら府政を推進していく」「我々が府民のことを考えて、憲法の精神にしたがって府政をやろうとしている時に、国が横やりを入れることがあれば、対決せざるを得ない」「ナイキ(防衛庁が能勢に計画する基地)の問題は、基本的には憲法第9条に違反するような軍事的な施設は、僕の権限内で処理できることならばいっさい拒む」

老人医療無料化と公害規制      

「大阪老後の幸せをすすめる連絡会」の代表者らの要請を受ける黒田知事(左端)=71年8月11日

 「憲法知事」就任による変化は劇的でした。
 「老人医療無料化」を公約通り、71年9月補正予算で70歳以上、73年1月から67歳以上、74年3月から65歳以上へと年齢を引き下げ、全国一の水準で実現します。「府政が変わった」「政治が変われば、くらしが変わる」と誰もが実感しました。
 いま一つは、大阪に青空を取り戻した公害対策です。「大阪から公害をなくす会」初代事務局長の芹沢芳郎は語ります。
 「黒田府政は公害対策で科学的な取り組みをはじめた。その最たるものは『環境容量』という考え方を確立し、『BIGプラン』で全国初の『総量規制』を実現した」
 「知事が変われば、職員が変わった。交渉の際、あの中川生活文化部長(のちの知事)が『西六社』(住友金属、大阪ガスなど)が反対してきたら、このデータをみせて、守らせますよ』と発言したのは驚いた」
 重度障害者の医療費無料化、府立高校建設、私学助成の抜本的強化、府営住宅建設、保育所建設、中小企業振興、文化振興――『大阪の春 黒田革新府政物語』(大阪民主新報社発行)は、第一期革新府政が実現した豊かな実績の数々を追い、記しています。         

春木競馬廃止   

廃止された春木競馬場跡で開かれた大阪こどもまつり=74年5月5日

 同時に、就任直後から「革新府政つぶし」をもくろむ猛烈な攻撃がかけられます。
 のちに黒田府政転覆の「主役」を担った自治省官房長の岸昌が府に送り込まれた「副知事問題」は、その一つです。
 「春木競馬問題」は、前知事時代に「廃止」を決めながら先延ばしされた問題でした。それを「即時廃止」をかかげた黒田知事に「公約破棄」を迫る材料としてし烈な策動が展開されます。念書も入れ、「廃止延長はしない」としたはずの主催16市長会は、その責任を放棄。府庁に競走馬を引き連れて押しかけた馬主、調教師たちは、「廃止なら250億円の補償金を」とつきつけます。
 攻撃の狙いは、黒田知事と共産党を切り離すことにも置かれましたが、激しい攻防の末、打ち破ります。結局、補償金をねん出するための2年間再開を余儀なくされるものの、地元婦人会なども大きな力を発揮し、ついに74年に廃止。その跡地は岸和田市中央公園に生まれ変わりました(参考『春木競馬場廃止運動に取り組んだ女性たち 中央公園はどのようにしてできたか』)。(次回は「日本共産党創立50周年」です)

(大阪民主新報、2021年5月23日号より)

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