時代をつないで 大阪の日本共産党物語

第70話 「あいのり・ためこみ」

 90年7月2日、岸昌知事が91年知事選「不出馬」を表明します。任期9カ月前の不出馬発表は異例でした。直接は5月議会・副知事選任問題などでの「オール与党」内の亀裂が指摘されましたが、背景は「あいのり批判」の拡大でした。「岸後継」選びは混迷しました。行き着いたのは関西財界による「あっせん委員会」の設置、中川和雄副知事の擁立でした。
 「あっせん委員会」メンバーは、「湾岸戦争」で「日本も時には血も流さなければならない」(91年2月14日「関西財界セミナー」)などと叫ぶ宇野収関経連会長らで、連合大阪代表も加わりました。社会党府本部など「オール与党」は「あっせん」を「受諾」します。

「ヤミ献金」と「4者懇」       

 「関西財界まるがかえ」のなかで大問題が明るみにでます。関西財界による「5億円献金」問題です。91年知事選挙で、サントリー、関西電力、住友金属工業、松下電器4社が音頭をとり、中之島センタービルに100社を集め、選挙資金を割り当てました。割り当て企業には、府発注の「りんくうタウン」造成事業受注業者や府が推進した「コスモポリス」参加の企業も多数、含まれました。
 のちに「ヤミ献金事件」として摘発され、ごうごうたる批判のなかで、中川知事は95年知事選に出馬できなくなります。
 関西財界「あっせん」「献金」の見返りとして、中川府政下、「4者懇談会」(関経連会長、大商会頭、知事、大阪市長)が定期的に開かれ、「関空全体構想協力」など府政の重要課題の方向が決められていきます。「府市バラバラ」どころか、「府市ともに関西財界蜜月」のなかで、府民との矛盾はさらに拡大します。

「ためこみ」4170億円       

「ヤミ献金」事件に絡み政治資金規正法で後援会幹部が逮捕・起訴され、マスコミの取材を受ける中川府知事=94年11月22日、知事公舎

 府政に著しい歪みがつくられたのが、府財政「ためこみ」問題でした。
 景気の変動や災害などに備え、府の財政に一定の基金を積み立てておくことは必要で、黒田革新府政当時も1975年度で「減債基金」「災害救助基金」など341億円の「基金」がありました。ところが岸府政をへて、この基金が4170億円にもふくれあがります。種類も「公立施設等整備基金」「国際観光貿易施設基金」「福祉基金」などが新たに増え、86年度以後は毎年500~1千億円積み増しされました。
 その原資となったのは、公共料金の引き上げ(岸府政12年間で2158億円規模)、老人医療有料化、府立特養老人ホーム建設ストップなどでした。
 自治省財政局長も「ただ漫然と積み立てている基金は単独事業の財源として取り崩してでも事業量を確保してほしい」(91年2月の都道府県財政課長会議で)と指摘するほどでした。
 91年知事選挙では「明るい会」の角橋徹也が「やるべきことをやらず、ためこんだ財政で、老人医療有料化ストップ、35人学級をただちに」と訴え、「あいのり」とともに、「ためこみ」問題が重大争点になりました。

「公金詐取事件」  

 大阪市政においても89年、財務課長代理の自殺未遂騒ぎのなかで、「公金詐取事件」――役所幹部が虚偽の文書を作成して公金をだまし取り、そのお金で自社公民議員を日常的に飲み食い接待していた実態が明るみにでます。「あいのり」「なれあい」による歪みは、2000年代にはいっても「職員厚遇」問題として再び大問題になりました。(次回は「関空・ベイエリア開発」です)

(大阪民主新報、2021年12月5日号より)

 

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