時代をつないで 大阪の日本共産党物語

第31話 大阪民主新報の創刊

府委員会の機関紙として

 日本共産党大阪府委員会の機関紙として、「大阪民主新報」が創刊されたのは1962年2月1日でした。
 松島治重府委員長の「創刊のことば」が語ります。
――日本人民と日本共産党の闘争は、きわめて豊富であり、一地方の闘争を細大もらさず、ことごとく、全国紙である「アカハタ」にのせることは困難であります。……なんとしても大阪における人民大衆と共産党の闘争について、できるだけくわしく、ひろく知らせ、闘争を発展させることが必要です。
――この新聞は、大阪のどのブルジョア新聞も書くことができず、また書こうとしない真実についてつげる唯一の政治新聞となるでありましょう。
――本紙は、必ずや大阪における人民大衆のアメリカ帝国主義および日本独占資本を先頭とする売国反動勢力にたいする闘争の武器となるでありましょう。共産党大阪府党組織と大阪の人民大衆をいっそうよく結びつけ、大衆を思想的、政治的にたかめる武器となるでありましょう。
 旬刊で、購読料は月ぎめ15円でした。
 「祝大阪民主新報発刊」の広告には、国家公務員労働組合、自治労大阪府衛星都市連合会、大阪商工団体連合会、大阪民主医療機関連合会、部落解放同盟大阪府連合会などが名を連ねています。

「大手前と中之島」 

 創刊号のトップ記事は「たちあがる府民共闘会議 春闘を土台に大政治行動へ」です。安保反対大阪府民共闘会議が在阪春闘共闘委員会との共催で「日韓会談・憲法改悪・政暴法反対」などを中心とした府民集会を開催することを決めたという記事です。裏面には「大手前と中之島 自民党の府・市政をつく」の連載が始まります。その1は「左藤義詮という男 彼をあやつる“経振連”」でした。
 自民党がうみだした交通マヒ(第2号)、「河内平野は泣いている 東大阪四市(布施・河内・枚岡・大東)合併運動の内幕」(第4号)――直面する大阪の政治課題をあぶりだしていきます。
 コラム「寸鉄」と時々のたたかいと党活動の指針となる「提言」は創刊当時から続きます。通信と読者の声を大事にし、「機関紙なら『提言』も毎週だして」などのリクエストにもこたえていきます。

旬刊から週刊、5日刊へと      

 旬刊2ページとしてスタートした「民報」は、翌63年2月1日の創刊2周年を期して週刊へ(月1回は4ぺージ)、65年の2月1日から「5日刊」へと発展します。66年11月の第17回大阪府委員会総会では、第11回党大会を期して、「民報」を日刊にすることをめざすともうたわれました。そのもとで67年1月1日からは週2回刊へ、69年2月からは毎号4ページへとさらに発展していきます。
 60年代のソ連、中国の干渉を打ち破ったたたかい、社会党・大阪地評との論争と共闘を求める一貫した活動、「解同」の無法とのたたかいにとって、「民報」はなくてはならない役割を果たします。
 私たちも「民報」とともに、60年代の歩みを追いたいと思います。(次号は「ソ連の干渉とのたたかい」です) 

(大阪民主新報、2021年2月21日号より)

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