おおさかナウ

2025年08月30日

暗黒の歴史繰り返さぬよう
吹田で犠牲者資料展

 「希代の悪法」と言われた治安維持法が、絶対主義的天皇制政府によって帝国議会で制定されてから、今年で100年。平和と民主主義、自由の実現を求めた無数の国民を弾圧し、侵略戦争へと突き進んでいった歴史の事実と教訓を学び合おうと、23、24の両日、吹田市内で、治安維持法犠牲者資料展が開かれました。

治安維持法制定100年

 「国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮に処ス」
 第1条にこう明記された治安維持法は、第一次世界大戦後の社会運動拡大を背景に、日本共産党を中心とする革命運動の壊滅を標榜し、1925年3月19日制定された法律です。

戦争の遂行へ言論を封じる

 天皇が絶対的な権力を持つ、政治体制「国体」変革を掲げる組織と運動を極悪犯罪とし、2回の改悪によって、最高刑は死刑に引き上げられ、言論・思想弾圧に猛威を振るい、国民の権利と自由、民主主義を押しつぶしていきました。
 戦争反対の声を上げた人や戦争遂行の障害になるとみなされた人、政治・思想・学問・言論・文化・表現など、社会運動に加わった人や宗教者も弾圧対象とされ、拘引・拘束は数十万人に上り、同法による検挙者は6万8274人、拷問による虐殺93人、獄死128人をはじめ、弾圧が原因で命を落とした人は500余人(治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟調べ)を数えます。
 「差別のない誰もが自由になれる社会をと願った純真な若者が、ある日突然、逮捕されました」
 日本共産党の元吹田市議で、治安維持法国賠同盟府本部名誉会長の松本洋一郎さんが、治安維持法による政治弾圧を受けた父・松本四郎さんの足跡と思い出を講演しました。
 四郎さんは1912(大正元)年、大阪市出身。大正デモクラシーの時代に幼少期を過ごし、大阪市立市岡商業学校卒業後、30年、18歳の時、三十四銀行(旧三和銀行の前身)に就職します。

侵略が全面的に広がる中で

 28年に「3・15事件」(1600人検挙)が起き、この年に治安維持法の最高刑を死刑に改悪。29年3月には労農党代議士・山本宣治が暗殺され、「4・16弾圧事件」も起きました。旧日本軍の謀略による満州事変(31年)が引き起こされ、アジア全域への侵略戦争に突き進む中、四郎さんは32年12月、二十歳で日本共産青年同盟に加盟しました。
 同銀行・朝潮橋出張所の出納係だった四郎さんが、治安維持法違反で大阪府の特別高等警察に検挙されたのは、共青に加盟した翌月、33年1月26日のことでした。
 「全大阪の金融界 赤化の大陰謀暴露す/三十四銀行員らを検挙」との見出しで記事を掲載した『大阪毎日』(1933年2月1日付)には、「松本四郎らを執務中に検挙し極秘裏に取調べをつづけている」「共産青年同盟に加盟し全大阪府下の金融機関を赤の一色に塗りつぶさんとする大陰謀」などと報じました。
 四郎さんは検挙2カ月後の4月1日に起訴されました。密室で判事による取り調べを受ける非公開の予審を経て、6月12日の初公判からわずか9日後の21日に、裁判所は懲役2年(執行猶予5年)の判決を宣告しました。

犠牲者の思いを胸にたたかいを

治安維持法で弾圧を受けた父・四郎さんを語る松本洋一郎さん=23日、吹田市内

治安維持法で弾圧を受けた父・四郎さんを語る松本洋一郎さん=23日、吹田市内

 「父が470日間拘留されたこの年、治安維持法による検挙は1万4622人の最多を記録し、同じ銀行員で党員作家だった小林多喜二が検挙・拷問されて7時間後に虐殺された」と語った松本さん。日本敗戦後に治安維持法が廃止(45年10月15日)され、「政治犯人等ノ資格回復ニ関スル件」との勅令によって、治安維持法による刑の言い渡しが無効になったことも紹介しました。
 「多くの犠牲者の思いを胸にたたかいを受け継ぎ、新しい歴史を切り開くために今後も頑張ります」と語りました。

 

命懸けのたたかいに感動

貴重な戦時資料を手渡す柏木さん(左)と青年=23日、吹田市内

貴重な戦時資料を手渡す柏木さん(左)と青年=23日、吹田市内

 治安維持法犠牲者資料展では、政治犯・思想犯とされ命を奪われた人たちのパネル資料、獄中からの手紙、新聞記事資料や戦時ポスターなど貴重な資料を展示。2日にわたって、「無産者医療運動と三島無産者診療所」(長瀬文雄さん)、「戦前大阪の弾圧犠牲者救援運動」(柏木功さん)などの講演会が行われました。
 23日夜の講演「戦前大阪の青年同盟」で元教員の柏木功さんは、1923年の共産青年同盟結成以降の大阪でのたたかいを紹介。過酷な弾圧を受けながら多くの若者たちが合法・非合法を問わず、反戦・平和、自由と民主主義の理想に燃えて果敢に活動を続けたと語りました。
 柏木さんは自ら収集した革命運動の戦時資料を民青同盟員に贈呈し、「再び暗黒の道をくり返さないために、一緒に学び力を合わせていきましょう」と呼び掛けました。
 15歳の民青同盟員は、「治安維持法の歴史を学び、私たちと同じ10代が命懸けで活動したことに心を打たれました。思想弾圧の歴史は、決して過去のものではないと思います。日本が2度と戦争をくり返さないよう、歴史の事実を仲間と一緒に学び、活動していきたい」と語りました。

府議会で1人 くじけていられない
実行委員長・石川府議があいさつ

治安維持法の事実を伝えようと話す石川氏=23日、吹田市内

治安維持法の事実を伝えようと話す石川氏=23日、吹田市内

 資料展を企画・主催したのは、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟吹田・摂津支部と同大阪府本部、淀川勤労者厚生協会、日本共産党吹田摂津地区委員会、国民救援会、民青同盟などでつくる実行委員会。資料展初日の23日、石川たえ実行委員長(日本共産党・大阪府議)は、次のようにあいさつしました。
 私が治安維持法を知ったのは、民青同盟に加盟し、歴史を学ぶ中でのことでした。あの治安維持法の下でたたかった女性革命家が、たくさんいたということに衝撃を受けました。しかも、そこには10代の女性も本当にたくさんいたのです。
 いま大阪府議会には79人の議員がいますが、日本共産党は私1人です。〝社会を変えよう〟と命を賭して頑張ってきた人たちのことを思えば、府議会の中で共産党がたった1人だからと言って、くじけている場合じゃないと思っています。
 国家権力によって弾圧された、治安維持法による犠牲者は絶対に補償されなければなりません。歴史の真実を多くの人と一緒に学び合い、さらに次の世代へと伝えていくことが、後を継ぐ私たちの役割だと思います。

(大阪民主新報、2025年8月31日号より)

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