おおさかナウ

2023年08月12日

学び、出会い、希望―私と日本共産党
大阪の小選挙区候補が語る

 大阪の小選挙区候補8氏に、日本共産党に入党したきっかけや日頃感じている同党の魅力などについて寄稿してもらいました。

ドン引きから始まった出会い
1区 竹内よしのり

 バイト先でのパートナー(妻)との出会いが党との出会いです。家に行った時、日本共産党のポスターがいっぱい貼られていて「ドン引き」した私は、「一家丸ごと騙されている。助け出さねば」と変な正義感から党の「悪い本」をたくさん読んで、パートナーの母・円山直子さん(当時浪速区市議候補)に質問する、大変失礼な青年でした。
 その後、アメリカによるイラク侵略戦争勃発。党や民青の皆が連日行動する姿に、いてもたっても居られず行動に加わりました。その中でこの戦争に大義はないこと、何の罪もない市民が犠牲になっていること、そして一貫して戦争に反対しているのが日本共産党であることを知りました。
 選挙中も路地裏で、イラクの子どもたちを思い必死で「戦争反対」を訴える円山さんの姿に希望を感じ党員に。今度は自分が誰かに希望を届ける番。反戦・平和でぶれない党の魅力を語りぬきます。

悪政を変える一番の特効薬は
2区 小川陽太

 両親が日本共産党員で、父は「昼の仕事は生活のため。夜の活動が人間本来の仕事」と平和や搾取のない社会を目指してるんやと幼い私に言っていました。大学卒業後、就職氷河期で非正規や長時間・低賃金の仕事ばかりで不安定な生活を経験。政治を変えて人間らしく生きられる社会にと平野民商で働きはじめ、消費税や高すぎる国保に営業とくらしが壊されるのを目のあたりにしました。
 2011年に市議会へ送っていただき、2期8年、橋下・吉村市政と対峙。初めての市長質問が「思想調査アンケート問題」、カジノ誘致や学校などの民営化・統廃合などたたかいが続きました。大阪市廃止の企てでは、党派や立場の違いを超えて力を合わせ、住民投票で2度否決させたことが確信に。自公や維新の悪政を変える一番の特効薬は、共産党を伸ばすことです!
 消費税減税・インボイス制度を中止し、くらしと地域経済を守るために頑張ります。

苦難に寄り添う姿知らせたい
3区 わたなべ結

 党員の両親のもとで育ち、日本共産党は身近な存在でした。18歳の時、かつての侵略戦争に反対した政党が現代でも「反戦平和」を掲げて活動していることに希望を感じ、入党しました。さらに大きな転機は、非正規で働いていた20代半ばの頃、簡単に首を切られる派遣労働者や給料が少なくてダブルワークをしている正社員の実態が党の国会論戦と重なりあったことです。党を大きくしたいと専従者になりました。
 昨夏、コロナにかかり、後遺症で年末までまともに働けず、社会から取り残されそうな不安な日々を送りました。政府は後遺症の実態を把握する気すらありませんでしたが、吉良よし子参院議員が独自で千人以上の実態をつかみ、治療できる病院の周知徹底や生活支援などを迫ってくれたのです。涙が出るほど嬉しく、この党の候補者でよかったと心底思いました。国民の苦難に寄り添う党の姿を知らせ、議席を勝ち取るために頑張ります!

国民と共に歴史を切り拓く党
5区 宮本たけし

 「日本共産党の百年」が発行され、志位和夫委員長の「入党呼びかけ」が発表されました。「呼びかけ」では、綱領確定以降の国政選挙での3回の躍進期の2回目に「90年代後半」をあげています。大阪では1995年参院大阪選挙区選挙で山下よしき副委員長が、98年には私が連続して勝利し、「大阪のツインタワー」「共産党躍進の象徴」と呼ばれました。
 私の最初の選挙は95年の参院比例代表候補。当時は参院比例も「拘束名簿式」で、衆院比例のようにあらかじめ順位が決められ、政党名のみの投票というものでした。
 政党を選ぶ比例選挙で「日本共産党を」と訴えることほど誇りあるものはありません。命がけで反戦平和を貫いた戦前のたたかいをはじめ、いかにわが党が「いばらの道」を歩み、国民とともに歴史を切りひらいてきたかが「百年史」には詰まっています。徹底して党を語り、比例を軸に大阪5区でも必ず議席を勝ち取る決意です。

自分も周りも大事にしたいと
7区 かわそえたつま

 「労働者階級同士、頑張りましょね」と、民青同盟で科学的社会主義を学んだ帰りの電車で、見ず知らずの人に話しかけそうに。搾取の仕組みや資本主義の矛盾は乗り越えられること、圧倒的多数の人が労働者階級で苦しめられていて、社会を変える仲間になれる可能性を知り嬉しくなって。
 「50年問題」を乗り越えた党史も知り、科学的な見地と、みんなで力を合わせることを大事にし、誠実に日本社会の問題に正面から向き合うこと、間違いからは原因と教訓を導き出して、乗り越え発展しようと努力し続けている〝大人たち〟がいることに希望を感じた。
 「この党を大きくすることで社会が良くなるスピードが早くなる。あなたが入党してくれることがその力に」との呼びかけに、「何ができるかはわからないけど、自分も周りも大事にできる生き方ができたら」と高校3年生の夏に入党。その思いは23年たった今も変わらない。

政治のゆがみ根本からただす
13区 うち海公仁

 50年ほど前、北海道の酪農家の次男坊だった私は「早く家を出て、親にも兄貴にも迷惑をかけない」ことが親孝行という雰囲気の中、身寄りもない地で近畿大学へ入学しました。そこで目にしたのは、右翼的組織を背景に、自治会や自主ゼミナール活動を暴力的に妨害する勢力でした。活動の中心で頑張っていた人たちを通して日本共産党を知りました。
 学内にウォータークーラー設置を要求したり、学生自治確立の運動に加え、ロッキード疑獄事件の真相追及、ベトナム戦争反対運動などを通じて、平和と民主主義を体現している党の一員になることに感動を持ったことが忘れられません。
 以来47年。政治的攻撃に抗して、人間の尊厳が大切にされる社会の進歩・発展と自らの人生を重ね合わせて生きてきたこと、その党が101年の歴史を背景に新たな前進に向かっていることを確信に、政治のゆがみを根本からただすため、頑張ります。

平和な世の中を子どもたちに
17区 沢田くみこ

 小学生の頃図書館で「はだしのゲン」を読んで、こんなに戦争は恐ろしいものなのか、戦争は絶対に嫌だと子ども心に思いました。私の平和への想いの始まりです。
 日本共産党に18歳で入党しました。侵略戦争の反省から二度と戦争しないと誓った憲法9条を守り、平和な世の中を次の世代に手渡したいと活動を続けてきました。
 4歳の姪っ子が大好きなポテトを頬張っている時の笑顔を見ているだけで幸せになります。戦争で子どもたちが命の危険を感じ、恐怖と隣合わせの日々を送っていると思うと胸が押し潰されそうです。ウクライナでは子ども達が命を奪われ、多くの市民が恐怖の中に身を置いています。どの子にも平等に幸せになる権利が保障されるべきなのに、子どもたちの未来を奪っているのです。
 平和な社会をご一緒につくりましょう。一人一人の笑顔が輝く社会をつくるために全力で頑張ります。

自由に平和に暮らせる社会を
18区 馬場ひでき

 高石市で学習塾を経営し、民主商工会の会員として様々な運動などに参加。その中で、悪法に屈することなく、草の根の運動で要求実現のために声を上げる大切さを知りました。民商の活動を通して日本共産党のことも知るようになり、集いや学習会などにも参加するようになりました。
 激しい戦争の中でも一貫して反戦を訴え、平和を守るため命がけで闘ってきた日本共産党の歴史に感銘を受け、入党を決意したのは2017年のことでした。
 塾では子どもたちに「若者は無限の希望を持ち、そして自由であるべきだ」と伝えてきました。今この国で認められている、すべての人が自由に生きられる権利。戦争のない平和な国。これらを多くの人々と共に実現させてきたのが日本共産党です。誰もが自由に、平和に暮らせる社会をリードしていくという日本共産党の役割を、一人でも多くの人に伝えていくのが私の役割だと考えています。

優しく強く人々の幸せのため
19区 北村みき

 子どもの頃、戦争中に命懸けで戦争反対を訴えた人たちがいたことに驚きました。中学生の時、『蟹工船』や『鋼鉄はいかに鍛えられたか』を読み、こんなふうに志を貫いて生きたい、生きていけるだろうか、と自らに問いました。身分や貧富の差がなく、誰もが尊厳を持って大切にされる社会、搾取も抑圧も戦争もなく、誰もが自分らしくのびのびと才能を開花させる社会。「資本主義」を乗り越えた未来社会に今を繋ぐ大仕事をやりたくて19歳で入党しました。
 斎藤隆介さんの「花さき山」「ゆき」「ベロ出しチョンマ」「モチモチの木」「ちょうちん屋のままッ子」など、優しさと真の勇気とは何かを描いていて、どの本も大好きでした。斎藤さんの本は滝平次郎さんの切り絵で有名ですが、いわさきちひろさんの絵の「ひさの星」は特に好きでした。党員作家として文化創造に生き、活躍した二人。私も優しく強く、人々の幸せのために生きていきたい。

 

1区=大阪市中央区、西区、港区、天王寺区、浪速区、東成区
2区=大阪市生野区、阿倍野区、東住吉区、平野区
3区=大阪市大正区、住之江区、住吉区、西成区
5区=大阪市此花区、西淀川区、東淀川区、淀川区
7区=吹田市、摂津市
17区=堺市中区、西区、南区
18区=岸和田市、泉大津市、和泉市、高石市、忠岡町
19区=貝塚市、泉佐野市、泉南市、阪南市、熊取町、田尻町、岬町

(大阪民主新報、2023年8月13・20日合併号より)

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