おおさかナウ

2015年06月16日

みんなの願いを国会へ わたなべ結物語②

広い視野で世界を見つめて

 ぎっしりとスタンプが押されたパスポート。これまでアジア、米国と欧州7カ国を12回訪問してきました。現在も各国の友人と交流が続いています。
 「2度と戦争する国に日本をしたくありません」。街頭で訴える平和の願いは活動の原点。広い視野で世界を見つめ、日本の政治変革を追求してきたわたなべさんの揺るがない信念です。

わたなべさんのパスポート

わたなべさんのパスポート

転機は米国滞在

 16歳の夏休みに1週間をアメリカで過ごしました。「平和学」を研究する叔父・常本一さんの渡航に同行してサンフランシスコからシカゴ、ニューヨークなど5都市に滞在。片言でしたが英語でのコミュニケーションの楽しさを実感、そしてなによりこの小旅行は日本を離れ、「世界」に目を向ける大きな転機になったのです。
 高校3年生。「語学を学びたい」と進路を考えていたわたなべさんに担任の英語教諭は、「本気で勉強したいなら…」と国立大阪外国語大学の受験を勧め、「合格には1日10時間の勉強が必要」とはっぱをかけました。
 中学から続けていた吹奏楽部の活動やアルバイト、もちろん勉強も一生懸命にこつこつと取り組む姿勢について、ある先生は「塾に通わず自分1人の力で学び続けてきたので、勉強の仕方を誰よりも知っている。決して途中であきらめたりしない」と評したことがありました。
 翌春、高校を卒業。第1志望の大阪外国語大学(現・大阪大学)に入学した結さんは、学問と民青同盟、そして大阪府学生自治会総連合で、学費問題や就職難解決の運動などに取り組み始めます。

叔父の常本一さん(ピースおおさか大阪国際平和センター元専門職員)の話

 私が平和研究の成果をまとめた『戦争と平和の「解剖学」』(2005年・東方出版)の発行直前、原稿段階から目を通し意見をくれたたのが結さんです。大学講義を念頭にまとめた書物でしたから、若者の視点でのアドバイスは的確で大変役に立ちました。日本が戦争をする国に変質させられようとしている今、海外での学びと経験、仲間たちと力を合わせて大いに頑張ってほしいですね。

世界の中での日本

 3回生だった秋、ニューヨークで同時多発テロが起きました。アフガニスタンへの報復戦争と続き、平和と戦争をめぐる激動の情勢の中、2002年に1年間休学して専攻していたタイ語を学びにタイへ留学。言葉も文化も違う中で学生生活を送りました。
 アジアの中でも日本の占領統治が及ばなかったタイですが、旧日本軍が上陸した海岸や通過した場所は多数。学生間で交わされる「日本兵の亡霊が出る」との言い伝えを聞き、戦争をめぐる2国間のつながりを実感。日本文化を学ぶ講義で「なぜ日本は戦後天皇制を残したのか」と質問を受けたこともあり、世界の中の日本について真剣に考える機会が増えていきました。
 同じ講義でタイ人の友人が「日本はアメリカの51番目の州」だと発言。日本の政治・外交の核心を突いた指摘を聞きながら、「タイの学生は遠く離れた日本の姿をしっかり見抜いている」と感じました。同時に「アメリカにくっついている日本はかっこ悪い。もっと独自の豊かな外交で存在感を発揮することができるのに」と思いました。

芽生えた思い

 イラク戦争の準備を進めるアメリカと「テロとの戦い」を口実に、戦争協力に突き進もうとする日本政府。このころタイで暮らすわたなべさんの心に、ある思いが芽生えていました。
 「ずっと生きづらさを感じてきた日本だけど、私はやっぱり日本人だし、日本が好き。生きづらくさせている政治を変えて、日本に生まれてよかったと思えるようにしたい」

留学先のタイで仲間たちと。右端がわたなべさん

留学先のタイで仲間たちと。右端がわたなべさん

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