おおさかナウ

2017年08月27日

核兵器禁止条約採択の立役者が参加
原水禁世界大会に参加して

 人類史上初めて核兵器を違法化する核兵器禁止条約の国連採択を受けて、原水爆禁止世界大会2017が、3日から6日まで広島で、7日から9日まで長崎で開かれました。大会には大阪の日本共産党の衆院候補4氏も参加。広島大会に長岡よしかず(13区)候補、長崎大会に、わたなべ結(3区・近畿比例重複)、北山良三(5区)、藤本さちこ(17区)各候補が参加しました。長岡、わたなべ両氏に、それぞれの大会参加手記を紹介します。

核兵器廃絶に背を向ける
安倍政治を終わらせよう

広島大会
長岡よしかず衆院大阪13区候補

広島大会に参加した長岡よしかずさん=6日、広島市内

広島大会に参加した長岡よしかずさん=6日、広島市内

8月6日の原水爆禁止世界大会の広島大会に参加してきました。

 国連で核兵器禁止条約が採択された年の世界大会ということで、広島大会にも大阪から70名以上の方々が参加されました。

 新幹線を降りて、早めの昼食をとったあと、広島電鉄の乗り場で電車を待っていると、宮本岳志衆院議員も偶然一緒になり、その場で写真撮影大会に。宮本議員と共に、満員の電車に揺られながら原爆ドーム前まで向かいました。

 広島大会は、学生時代に毎年フェリーに乗って参加して以来でした。当時は会場も改築前の体育館でエアコンもない中、うちわをあおぎながら参加したことを思い出しました。今は総合体育館できれいになり、エアコンもきいて涼しい会場です。広電からの道も、市民球場がなくなり、平和公園の向かい側の風景も様変わりしたなぁと思いながら会場へ向かいました。

条約採択の喜び口々に

 大会では、海外代表をはじめ、登壇した参加者が、核兵器の製造、使用だけでなく、威嚇も禁止されていることや、「ヒバクシャ」が条約の中に盛り込まれたことなど、口々に核兵器禁止条約が採択されたことについて、喜びの声を語りました。

 来賓あいさつをした志位和夫委員長も、条約が採択された国際会議に参加した時の感動を述べるとともに、この日の午前中に開かれた祈念式典の中でも、唯一核兵器禁止条約のことに触れなかったのが安倍首相だったと報告した時には、会場が批判の声で大きく沸きました。

 世界の平和団体からは、「被爆者団体をノーベル平和賞に」という運動を進めているとの報告もありました。

 最後に、うたごえの団体が登壇しうたごえを披露。「We shall overcome(我々は勝利する)」をみんなで歌いました。

 大会終了後、小雨が降る中、大阪からの参加者で平和公園内を見て回りました。この日の夜に平和公園内で行われる灯篭流しの準備がされ、テレビ局のカメラなどもあり、どこもいっぱいの人でした。

原爆の子の像に折鶴が

 原爆ドームでは、もともとの原爆投下の標的は、元安川と太田川が合流する地点であったものが、風で流されて、原爆ドームが爆心地になったことなどの説明がありました。

 平和公園の中にある原爆の子の像には、夕方でも折り鶴を捧げる人たちが多く、鐘の音が途絶えることがありませんでした。

 平和資料館も多くの人で満員でした。公園内のどこの祈念碑も、お祈りをする人がいるなど、この公園の風景は、学生時代に見たものと変わりはありませんでした。

安倍政治終わらせよう

 広島大会に参加して、海外の多くの方々の話を聞き、どんな理由をつけようとも、核廃絶を望むなら核兵器禁止条約に反対する理由はないということをあらためて感じました。

 唯一の被爆国でありながら、核兵器禁止条約に背を向ける安倍政治を終わらせ、世界の国々と連帯し、核兵器廃絶をめざす政府をつくることが、日本の果たすべき役割だと思いました。秋のたたかいに向け全力を尽くします。

被爆国日本が核兵器廃絶を世界に訴える役割実感

長崎大会
わたなべ結衆院大阪3区近畿比例候補

長崎大会に参加したわたなべ結さん=7日、長崎市内

長崎大会に参加したわたなべ結さん=7日、長崎市内

 原水爆禁止世界大会には、学生時代から何度か参加したことはありましたが、やはり今年の大会には、国連で核兵器禁止条約の実現に尽力した国連・政府関係者、NGO代表なども参加するとあって、ワクワクする思いで長崎に向かいました。

 私は3日間で、開会・閉会総会、分科会「非核平和のアジアと日本の役割」、フォーラム「核兵器禁止条約実現―政府とNGOの対話」に参加し、岡まさはる記念・長崎平和資料館(日本の戦争の加害責任を訴えてきた牧師・長崎市議だった岡まさはる氏の遺志を継ぎ、市民の手で設立された資料館)、長崎原爆資料館に足を運びました。

条約実現の喜びと確信

 大会会場は、条約実現の喜びと実現を長年の運動で勝ち取った確信にあふれ、何度も大きな拍手が会場を包みました。同時に日本政府に条約の批准を求めていく新たな決意にも満ちた明るい大会になりました。

 条約実現に向け国連会議で重要な役割を果たした国の一つ、オーストリアの外務省軍縮軍備管理不拡散局次長のマルチン・クリューガーさんは、フォーラムのパネリストとして登壇され、オーストリアが1999年に、国会で全政党が賛成をして核兵器を禁止し非核兵器国であり続けることを決めたこと、2014年に「非人道性に関する国際会議」をウィーンで開いたことを紹介してくれました。クリューガーさん自身、2014年の会議で初めて被爆者の証言を聞かれたそうです。「たとえ今後どんな圧力があろうと、オーストリアは揺らぐことはない」と語られたクリューガーさんからは、核兵器の非人道性を知った者の決意が伝わってきました。

被爆の告発が原動力に

 また、同じパネリストの原水協の代表理事の高草木博さんが、被爆者が被爆後何年もその事実を知らされず、適切な治療もされなかったことを語られたくだりでは、隣に座っていたアメリカのピースアクションニューヨーク州会長のジム・アンダーソンさんが涙をぬぐう姿があり、私も胸が熱くなりました。

 被爆者の皆さんを先頭にした被爆の非人道的な実態の告発が各国政府を動かし、条約実現の大きな原動力になったことが伝わってきました。

 海外代表の方々がそれぞれの国で頑張っている姿に接し、唯一の戦争被爆国であって被爆の惨状や痛苦を直に知る日本が、世界に向けて核廃絶を訴えることほど大きな説得力と影響力を持つものはないと、その役割と重みをあらためて感じました。

 岡まさはる記念・長崎平和資料館では、日本が強制連行した朝鮮人や中国人たちも原爆の犠牲となったことが告発されています。被爆の実態は被害だけでは語れないことを決して忘れてはならないと思いました。同時に、「何人だろうと関係なく焼き尽くし苦しめ続ける核兵器は、地球上のどこにも二度と使わせてはならないし、戦争は絶対にさせてはならない」との思いが募りました。

条約を批准する政府に

 私たちが今、核なき世界の実現のためにできる最大の貢献は、被爆国・日本で核兵器禁止条約にサインする政府をつくることです。皆さんと力あわせて、核兵器禁止条約を批准する政府に変えるために、草の根の運動を広げながら、来る総選挙に向け力を尽くします。

 

(大阪民主新報、2017年8月27日付より)

 

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