おおさかナウ

2016年09月25日

宮本岳志の国会レポート
〝だんじり禁止〟の時代

宮本 9月17・18日は岸和田祭で、私も地車(だんじり)とともに岸和田の街を駆け回りました。重さ4トンを超える地車を、走りながら勢いよく直角に曲がり角を曲げる「やりまわし」は一番の見ものです。


 「岸和田だんじり祭」は、元禄16(1703年)、岸和田藩主岡部長泰公が、京都伏見稲荷を城内三の丸に勧請し、五穀豊穣を祈願し、行った稲荷祭が始まりと伝えられています。しかし300年の歴史にも戦争の暗い傷跡が刻まれています。

 私の母校、岸和田高校で教鞭をとられた横山篤夫先生の著書「戦時下の社会」によると、1932年9月15日、日本政府が「満州国」との間で日満議定書に調印した当時の新聞は、「岸和田市在郷軍人聯合分会では当日が地車祭なので承認発表の情報が入ると同時に27台の地車を昭和大通岸和田駅付近に集め井坂市長の発声で万歳を三唱し終って各地車に日の丸国旗と満州国旗を左右につけて全市を練る」と報じました。
 その後、「1937年の日中全面戦争の開戦とともに、地車祭に費やされる岸和田の人々のエネルギーと費用は、準戦時体制をつくり上げていく上では邪魔な存在と見なされ」、「岸和田だんじり祭」は禁じられます。

 祭を終え9月19日は、安倍政権の「戦争法」強行から一年。大阪でも、岸和田でも「戦争法廃止!」の行動がとりくまれ、私も参加しました。二度とだんじりのできない時代を許さないために、党派を超えて手をつなぎます。(みやもと・たけし 日本共産党衆院議員 毎月第4週に掲載)

(大阪民主新報、2016年9月25日付より)

 

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