おおさかナウ

2020年09月14日

時代をつないで
大阪の日本共産党物語
第9話 小岩井浄のこと

大阪の党の創立者の一人として  

 弁護士・小岩井浄のことは、第2話で大阪の日本共産党創立メンバーの一人として紹介しました。
 1922年3月、東大を卒業して大阪へ来たばかりの彼は、日本農民組合顧問弁護士になるや三重から四国、九州に及ぶ活動を展開。岡山の藤田農場争議では、大阪の地主、藤田組事務所の私邸にもデモでおしかけ、最初の獄中生活も経験します(のちに無罪に)。このころすでに「農民は彼のいうことを神話のごとくに信頼した」(細迫兼光)といわれました。1923年、山宣らとともに大阪労働学校講師を担い、「階級闘争の戦士としての第一歩を踏み出し」ます(小岩井「階級戦士としての同志山本宣治」)。その関係は深く、凶刃に倒れた山宣の労農葬の葬儀委員長も小岩井が務めました。

獄中立候補で当選

小岩井の訃報を掲載した1959年2月20日付の「アカハタ」

小岩井の訃報を掲載した1959年2月20日付の「アカハタ」

 「3・15事件」の弁護に奔走していた小岩井は1929年6月1日、普通選挙法に基づく最初の大阪市議選で請われて東成区からたち、見事2位で当選します。小岩井は市会で、市電への満14歳以下の少年車掌採用問題、生理休暇など女子従業員の労働条件問題、失業者救済のため「資本家の全額負担における失業保険」、市長公選の提起などをおこない、奮闘します。しかし、天皇制権力は議員であろうと容赦せず、弾圧犠牲者を救援する「モップル」(赤色救援会)の大阪地方委員長だった小岩井を治安維持法違反で検挙します。
 しかし、1931年9月25日、その獄中にあった小岩井を府議選でかつぎだし(当時は大阪市議と府議を兼ねることができました)、当選させたことは衝撃を与えました。「大阪の労働者で当時小岩井を尊敬していないものはいなかったから、だれでも陰に陽に応援した」(細迫兼光)といわれるとおり、彼の応援団には、全農大阪府連、大阪市電自助会、大阪電気労働組合、大阪自動車従業員組合、全国水平社、プロレタリア文化団体大阪地方協議会が参加し、河上肇、布施辰治らも応援に駆け付けます。「赤旗」(1931年10月20月号)は「大阪の労働者は、日本共産党が公然と推挙せる候補者に投票した。そうして、その候補者は、獄中にあるにもかかわらず、みごと当選したのだ。これは大阪の労働者諸君の勝利であり、日本プロレタリアートの勝利である」とのべました。

挫折――『冬を凌ぐ』から   

 しかし、小岩井は1932年7月、懲役2年、執行猶予3年の判決を受け、 控訴せず府議を失格になりました。獄中で「無産運動の第一線から退く」と「新しき出発(転向感想)」を書き、メディアにも大きく報道されます。失意のうちに書いた『冬を凌ぐ』(1935年出版)は、原題は「動揺を見つめて」でした。農民たちが建ててくれた横堤の家を離れ、夫人とも別れ、東京へと旅立つ際、彼は「どんな寒い風が吹きすさんでも、氷が張りつめていても、凍えついた大地を生命がけで掘りかえして、来るべき春のために準備し、闘っている人々がある」と書き残しています。それは生涯、彼が悔いた荒波の歴史のなかの一コマでした。
 その後も小岩井は、1936年には労働雑誌関西支局(支局長 川上貫一)を設立するなどの活動をすすめ、「人民戦線」をきずくことにも力を注ぎましたが、5度目の検挙を経て、1940年上海へと転じ、上海経済研究所副所長、東亜同文書院大学講師としての活動をすすめました。
そして、戦後、愛知大学へ赴任し、1955年から学長を務めます(その足跡は加藤勝美『愛知大学を創った男たち―本間喜一、小岩井淨とその時代』に詳しい)。その一方、自由法曹団の戦前・戦後の草分けとして、1957年のアジア・アフリカ法律家会議には日本代表団長として参加しました。愛知大学東亜同文書院大学記念センターとともに、小岩井を生んだ郷里の松本市文書館には彼の足跡を記す資料が多数残ります。
 日本共産党への復党を願った小岩井は、ついぞ果たせないまま、1959年2月19日、61歳で亡くなります。彼が死ぬ間際、再婚した多嘉子夫人に、「自分は党に戻れなかったが、君は入党して」と「遺言」を残しました。その通り多嘉子夫人は入党し、愛知の新日本婦人の会創立者の一人として、女性史に刻む活躍をすすめました。

愛知大学葬   

 小岩井の死に際し、愛知大学は大学葬を営みました。弔辞を読んだ南原繁元東大総長は「君こそ典型的な民主主義者」とのべました。日本共産党中央委員会、大阪府委員会も弔辞をもって参列しました。当時の「アカハタ」は、これを大きく取り上げました。学生が弔辞を読み上げた際、参加者から「国際学連の歌」のハミングが起こったと伝えられます。(次回は「『赤旗』と大阪のメディア」です)

(大阪民主新報、2020年9月13日号より)

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