政策・提言・声明

2018年02月02日

堺市長選挙、総選挙──大阪における「維新」とのたたかいと展望

堺市長選挙、総選挙──大阪における「維新」とのたたかいと展望

日本共産党大阪府委員会副委員長 中村正男

 日本共産党第三回中央委員会総会で志位和夫委員長は、「頼みにしていた安倍政権の補完勢力」──維新や希望が、「総選挙後、いよいよその政治的立場を失い、混迷を深めています」と報告しました。
 大阪では昨年(二〇一七年)九月、堺市長選挙で日本共産党と「住みよい堺市をつくる会」が自主的支援した竹山修身市長が勝利し、維新を連続敗北させました。続く一〇月の総選挙で、維新は議席、得票を大幅に後退させました。大阪府・市政における自治破壊・強権の暴走と行き詰まりもうきぼりになりつつあります。
 大阪における維新とのたたかいは、どういう到達点にあるのか。「維新政治」の破たんはどこに現れ、どう打ち破るのか。いくつかの角度から展望します。

1 堺市長選挙──三つの土俵で維新を打ち破った

 昨年九月二四日投票の堺市長選挙で、「大阪都」に反対する現職の竹山修身市長が維新前府議の永藤英機氏を一六万二三一八(五三・八%)対一三万九三〇一票(四六・二%)で打ち破り、三選しました。
 前回二〇一三年の市長選挙で、維新は「大阪都」実現をかけ、「堺市つぶし」へ、橋下徹代表(当時)を先頭にのりこみ、激しい選挙戦をくりひろげました。しかし、「堺をつぶすな。堺はひとつ」を合言葉にした「オール堺」の共同の前に敗れ、手痛い打撃を受けました。そのリベンジへ、候補者探しに難航しながら、七月初め、永藤英機氏を擁立しました。その出馬会見では驚いたことに、「大阪都は争点にしない」「争点は停滞か、成長かだ」とのべました。
 日本共産党と「住みよい堺市をつくる会」(以下、「つくる会」)は八月九日、「明るい民主大阪府政をつくる会」と共催で集会を開きました。ここで、市長選挙で「三つの土俵で維新を打ち破る」ことをかかげました。㈰「大阪都」も、「大阪都隠し」も許さない、㈪「停滞か、成長か」のデマ宣伝を痛快に打ち破る、㈫「一党一派」の維新ではなく、「市民共同」の竹山市政を守り、発展させる、ことです。
 集会では一六ページ建ての「竹山パンフレット」も披露されました。「つくる会」が全戸配布分の約二倍、五〇万部を発行したものです。
 この日は、政務活動費一三〇〇万円の不正使用を問われ、リコール署名運動が展開されていた元維新の堺市会議員二人のうち、黒瀬大市議が辞任表明した日となりました。維新は「身を切る改革」を叫びながら、彼らへの「辞職勧告決議案」に反対していました。市民の良識による緒戦の勝利に、会場は大いに沸きました。

(1)「大阪都」をめぐる攻防

 維新候補が出馬会見した日、維新の東徹参議院議員は「堺市長選挙は熱い熱い闘いになる。大阪都構想のことを考えれば何が何でも勝たなければいけない選挙だ」とツイッターで発信していました。ところが、「大阪都を争点にしない」とは、たたかう前から、彼らの矛盾と欺まんをさらけだすものでした。
 「大阪都」は、大阪市とともに、もう一つの政令市・堺市をつぶさなければできません。前回堺市長選挙後も、橋下氏らは「堺は当然、大阪都に」と語っていました。相手候補の永藤氏自身、一年半前の大阪府議選では、「大阪都」になれば「東西交通」や「水道代値下げ」ができるという「堺市マニフェスト」を掲げていました。
 そもそも維新は二〇一〇年、「大阪都」を一枚看板に、自民党から離れた府議などで結成された地域政党です。
 「大阪都」とは、大阪市や堺市をつぶし、住民サービスの担い手を「政令市」から「半人前の自治体」というべき「特別区」に格下げし、「都」が権限・財源を吸い上げて、「一人の指揮官」でやりたい放題の体制をつくる、地方自治破壊の構想です。
 二〇一五年に大阪市で強行された住民投票で、維新は「これが大阪を変えるラストチャンス」とあおりながらも敗れ、橋下氏は政界を去りました。ところが、この審判を足蹴にし、いままた「大阪都」への住民投票を策しています。それは「大阪都」がついえれば彼ら自身「維新壊滅」というとおり、維新の存在意義が消えるからにほかなりません。その意味で本質は「維新のための大阪都」です。
 維新の思惑に反して、「大阪都」論戦はホットに展開されました。
 「つくる会」の「市民アンケート」は一万四〇〇〇通以上のかつてない返信がありました。そこで「『大阪都』構想反対」は六二%、「賛成」の四倍を占めました。
 「つくる会」は八月二九日、維新と永藤氏に、一〇項目の公開質問をつきつけました。その第一項目は、「『大阪都隠し』は、選挙目当ての主張ではないのですか?」というものでした(永藤氏はいずれも回答できませんでした)。
 「つくる会」の機関紙「日刊 堺はひとつ」では、「大阪都」になれば堺市の財源四〇〇〇億円が「都」に吸い上げられ、市民のくらしをささえる機能がこわされること、維新は大阪市内でも「ラストチャンス」としていたのに、負けるとまた住民投票を策す。堺でも「大阪都隠し」は同じペテン作戦であることなど、連日キャンペーンをはりました。
 宣伝は響きました。告示後おこなわれたテレビ大阪「ニュースリアル」での市長候補・直接討論では、最初に「視聴者の多くが関心をもつ都構想」をテーマにしました。竹山氏が「維新の看板政策が都構想。これに反対です」とズバリ語ったのに対し、永藤氏は「都構想をいわないでほしい」と守勢でした。竹山氏が「永藤氏は昨年の四月、ツイッターで『政令市はつぶす』といっていた。やっぱり都構想でしょう?」とたたみかけました。
 論戦の決着は明瞭でした。堺市民の良識は、「大阪都」にも、見え透いた「大阪都隠し」にも「ノー」をつきつけました。維新は「大阪都」をきっぱり断念すべきです。

(2)「停滞か、成長か」のデマ宣伝通用せず──竹山市政の豊かな実績・政策

 維新は、「停滞か、改革か」を大合唱しました。スローガンを大書きしたポスターを張りめぐらせ、全紙折り込みの「堺市は停滞、大阪市は成長」なるビラも連打しました。
 しかし、この間、竹山市政が市民とともにきずいてきた実績と政策の前に、この悪宣伝は無力でした。
 「つくる会」は「竹山パンフレット」やビラで竹山市政の実績とビジョンをわかりやすく特集しました。
 ──国民健康保険料は八年連続、合計一万五八四九円引き下げた。
 ──保育料は第三子から無料化実施。さらに第二子に拡充する。
 ──子どもの医療費助成は中学三年生まで実現。さらに高校三年生まで拡充する。市立総合医療センターの第三次救急対応を拡充し、救急車の搬送時間を大幅に短縮した。
 ──政令市の権限で「三八人学級」を実施。エアコン設置もすすめ、子どもたちの教育環境を充実。
 ──「おでかけ応援バス」は毎日利用。泉北高速鉄道の運賃引き下げと通学定期代補助を実施。
 これらの実績は、「つくる会」の「一〇〇〇人ネット調査」で維新支持層からも高い評価を得たものでした。市長選挙と同時期に行われた羽曳野市議選では、ある維新候補が公報で「堺のおでかけ応援バス」を持ち上げていました。
 「堺の経済は停滞」「人口減」なども叫びました。しかし、たとえば二〇一二〜一六年の企業本社転出入は、堺市はプラス二八社で政令市中二位、大阪市はマイナス四六八社で政令市最下位です。二〇一五年度の合計特殊出生率は、全国平均一・四五、大阪府平均一・三九。大阪市一・二六に対し、堺市は一・四九です。「堺市は成長、大阪市は停滞」という姿がうきぼりです。
 そもそも永藤氏は記者会見で「停滞はいつから?」と問われ、「『黄金の日々』(=安土桃山時代の堺)には成長」とビックリさせました。すぐに「九〇年代から」と言い直しましたが、「バブル崩壊から?」と問われると、「そこまで深く考えてはいなかった。漠然と」と答え、記者をあぜんとさせました。
 終盤は「借金増」と「高い水道代」攻撃をすすめました。
 しかし、「増えた借金」なるものは、「臨時財政対策債」──国が地方におしつけている借金です。かつて橋下氏は府知事当時、「これは国から押し付けられた借金で、大阪府にはどうしようもないもの。この部分を除いて…見なきゃいけない」(二〇一五年一〇月六日)とのべていたしろものです。
 「水道代」が「大阪市に比べて堺市は高い」との宣伝も執ようでした。「日刊 堺はひとつ」では、㈰水道代は府内平均二八一二円、堺市は二四八四円。竹山市長は就任直後に引き下げ、堺市議会で維新市議は「実は堺市は上水道については下から八番め、実は安いほうに部類します」と発言しています。㈪大阪市の水道代が安いのは「維新のおかげ」ではなく、「淀川のおかげ」「明治以来の大都市基盤整備のおかげ」です。橋下氏も、吉村洋文氏も、大阪市長として水道代を大幅に下げるどころか、「福祉減免」を切り捨てました。㈫下水道料金も、合併した美原区での普及率アップなど設備投資に力を注いできたが、見通しがつき、秋から値下げ、と徹底反撃しました。
 驚いたのは、維新の馬場伸幸幹事長が街頭で「大阪市では水道の四割を捨てている。それを堺がもらえばいい」と演説したことでした。よほどネタに窮したのでしょう。大阪市に問い合わせると、「誰がそんなことを!」といいました。
 デマ宣伝を痛快に打ち破った「日刊 堺はひとつ」は「つくる会」機関紙で、市内の全二七駅すべてで平日の連日、日替わりの内容で、告示前後に一三連打したものです。最終日にはのべ六〇〇人が参加する大作戦となりました。「毎日新しいニュースをお届けしています」とプラスターもだし、元気よく配布すると「駅前対話」が花咲きました。「つくる会」には連日、「あんたら、よぅ頑張ってるな。チラシ毎日見てるで。最後まで頑張った方が勝つよ」(百舌鳥駅)などの反応が寄せられました。
 「日刊 堺はひとつ」には「堺愛」に満ちたコラム「地元を知ろう! 堺を知ろう」も連載されました。堺の名産である「包丁」の由来、「包丁さんは、中国の料理人の名前だった」などの内容が話題になりました。
 維新のある市議は「日刊 堺はひとつ」について、「すごく洗練されていますね」と悔し紛れに語っていました。

(3)「一党一派」の維新をはねのけ、「市民共同」の竹山市政を守り発展させる

 「堺はひとつ」を合言葉にした共同は、広がり、深まりました。そのなかで日本共産党と「つくる会」の役割は大きいものがありました。
 前回の市長選挙では、自主的支援の「つくる会」の宣伝物に直接竹山市長が登場する機会はありませんでした。しかし、今回は「竹山パンフレット」に登場し、子育てママ三人と「堺を語り合う」企画が四ページ組まれました。
 「つくる会」は竹山選対に直接加わりませんでしたが、市民運動で竹山市政をささえようという「堺はひとつ 笑顔でつながる市民の会」には市商店連合会長や自治連合協議会顧問、元Jリーグチェアマンなどと並んで、丹野優事務局長らが名を連ねました。「日刊 堺はひとつ」をはじめとする奮闘ぶりは竹山選対でも評判になりました。最終日、堺東駅前での最後の訴えで、竹山選対の小郷一総合本部長は、「住みよい堺市をつくる会」の名も上げて、「みなさんの力でここまできた。必ず勝ち抜こう」と呼びかけました。
 日本共産党堺地区委員会は「JCP堺」を発行しました。「堺のことは堺で決める/市民共同の現市長で堺の発展を」「市民とともに政治を動かします/一致点で共同する党です」というおしだしと、「維新さん、隠さんといて! 堺つぶしの野望・大阪都構想」「政務活動費不正議員かばう維新はNO!。『身を切る改革』があきれます」という維新批判は、論戦をよりシャープにしました。
 小池晃書記局長が、告示前は「つくる会」主催の「WE LOVE さかい 堺はひとつ市民大集合」、告示後は補欠選挙が同時にたたかわれていた南区と西区での日本共産党街頭演説に来援。安倍政権批判や国政上の焦点と切り結びながら、堺市長選挙の意義を鋭くつきだしました。
 市長選では、自民党も石破茂氏などが堺東駅前で、「『大阪都』などというわけのわからないもので、この地域が発展するはずがない」と訴えました。
 維新は「野合」批判をぶちました。告示二日前には、「堺の真の成長を願う会」なる「団体」による「自民党・共産党・民進党が野合するのが現職市長」という怪ビラも各紙に折り込まれました。
 しかし、国政上の問題では「水と油」の政党、各種団体・個人が、「大阪都ノー」という一点で一致し、「反維新の共同」をくんでいるのが大阪の姿です。その共同の輪は、「野合」批判やデマ宣伝を吹き飛ばし、堺市長選挙勝利の原動力となりました。
 九月二四日午後九時半すぎ。メディア、支援者で満杯となった竹山事務所で、小郷選対本部長が「勝利宣言」を発しました。かけつけた辰巳孝太郎参議院議員、わたなべ結衆院比例近畿候補と竹山市長ががっちり握手を交わしました。日本共産党大阪府委員会の柳利昭委員長は「堺市民の歴史的勝利」とするコメントをだしました。
 堺市長選挙では、維新が国会議員、地方議員をはじめ全国的な大量動員で宣伝や訪問活動をくりひろげました
 これに対し、党と「つくる会」のよびかけにこたえ、各地からボランティアがかけつけ、全国からも募金が寄せられました。そこには「自治都市の伝統を守ろう」(茨城県稲敷市Tさん)「中世からの世界の都市『堺市』です。ご健闘、ご奮闘下さい。応援しています」(北海道紋別市Tさん)など、熱いメッセージがありました。 誌面をお借りして、心からの感謝を申し上げます。

2、総選挙における維新の後退が物語るもの

(1)議席、得票ともに後退

 堺市長選挙に続く総選挙で、維新は議席、得票とも後退しました。
 大阪一九小選挙区のうち、維新は国政進出直後の二〇一二年総選挙では一二議席を占めましたが、二〇一四年に五議席、今回は三議席でした。比例代表も一二年一四六万、一四年一一四万から今回は九三・五万票で、「府内第一党」の座も転落しました。近畿ブロックの議席は八議席から五議席になりました。
 あるメディアの出口調査では「安倍政権が続くのがよい」という人の投票先(比例)は自民四九%、維新二七%、公明一五%でしたが、「別の政権に代わるのがよい」と答えた人の投票先も、維新三一%、立憲民主二七%、共産一七%でした。維新が、それでも府内九〇万台の得票となっているのは、彼らへの「野党幻想」「改革幻想」がまだ根強いことを示します。
 それでも維新は、総選挙を重ねるごとに、議席、得票を後退させています。今回の結果について、維新幹部は「国政政党としての存在感は明らかに低下する」とのべています。

(2)敗因はどこにあったか

 総選挙結果について、松井一郎代表は「身を切る改革で教育無償化を訴えたが、全国になると、いくら実績があってもなかなか聞いていただけない」とうそぶきました。「敗因は?」との質問に、「それが分かったら、負けへんっちゅうねん」といらだちました。
 維新の敗北には二つの背景があります。。
 一つは、大阪における「維新政治」の本性がさらけだされつつあることです。
 その暴走と行き詰まりの中身は、第三章でくわしくみますが、象徴的だったのは総選挙告示前日の党首討論でした。ここで松井代表は、日本共産党の志位和夫委員長に、「大阪ではなぜ自民党と手を組むのか。共産党の背骨はどこへ行った?」と質問してみせました。これに対する志位委員長の回答は明瞭でした。
 「それは大阪で維新がやっている政治があまりにもひどいからだ。『都構想』は自治を否定する」「堺市長選では『堺はひとつ』で、保守の方々とも結束して勝利した。その結果を受け止めないのか」
 党首討論で二の句を継げなかった松井氏は、よほど悔しかったのか、翌日告示日の「第一声」で、「志位さんは東京都民だから、大阪のことを知らない」と毒づきました(志位さんは千葉県民です)。
 いま一つの背景は、国政における安倍政権補完ぶりが、さらけだされつつあることです。
 国会では、カジノ解禁法案から、「共謀罪」、介護保険改悪、さらに「森友・加計疑惑隠し」にいたるまで、安倍政権を助け、より悪い方向へひっぱる維新の姿があらわになりました。また国会質問を利用して野党を口汚く攻撃する点でも、維新の特異な役割はうきぼりです。
 この姿をより鮮明にしたのは総選挙告示前、九月三〇日に小池百合子・松井一郎両代表がみせた「希望」と「維新」の「すみわけ」──大阪の小選挙区で希望は候補者をたてず、東京では維新がたてないという野合劇でした。これは、「大阪都」などの自治破壊を希望も是認し、東の「豊洲」問題、西の「森友」問題に両者が何もふれなかったことなどもありますが、きわだったのは「憲法九条改定」「戦争法推進」という中心問題で両党が安倍政権と何一つ変わらない姿でした。両者ともに「自民党政権との連携」を口にするようになりました。
 総選挙結果について、片山虎之助共同代表は「新党がポコポコ出るもんですからね。(維新は)既成政党視され、『並の政党』になってしまった」といいます。
 メディアの論評も手厳しいものです。
 「かつて第三極を標榜(ひよう ぼう)した政党が、ことごとく政権に近づいては瓦解した。維新が議席を減らし、希望が苦戦したのは、有権者がそうしたにおいをかぎとったからではないか」(「朝日」一〇月二五日付)
 「指摘できるのは、希望、維新という『改革』を唱える政党が受け入れられなかった事実である。もはや『改革』は政党の看板公約たり得ない/希望と維新は改革という『オワコン』にしがみついた末、失敗したとも見ることができる」(WEBRONZA、一〇月二七日)
 維新の安倍政権補完ぶりをあらわにする点で、日本共産党が「市民と野党の共闘」をブレずにすすめたことが一つの役割を果たしました。「大阪市を知り、考える市民の会」の中野雅司さん(浪速産業株式会社社長)は、こう語ります。
 「候補者を降ろし、野党共闘を支援し続けた共産党のお陰で、反維新の構図をよりはっきりと描き出すことができた」「維新という政党の実情がより有権者にはっきりと見えてきた」「大阪を正常な形に戻すために、自己犠牲をいとわず、大きな貢献をしてくれた共産党には大きな感謝」

(3)「大阪都・再住民投票」へ、必死のまきかえしをはかる維新

 総選挙後、維新は「教育費無償化」をかかげながら、自民党との「改憲タッグ」に踏み込むことをはじめ、これまで以上に安倍政権補完ぶりを際立たせています。馬場幹事長は一一月の安倍・トランプ会談に「回を重ねるごとに中身が濃くなっているように見える」とコメントし、衆院本会議代表質問では「国民の多くは安倍政権打倒を望んでいない」と語りました。維新の足立康史衆院議員は加計疑惑などを追及する野党議員を「犯罪者」よばわりし、参院本会議で片山共同代表は野党の質問時間削減を求める安倍首相をあからさまに持ち上げました。
 維新内部では大阪一九区から当選した丸山穂高氏が「金で公認を得ている」などという「橋下ツイッター」の悪罵(あく ば)に憤り、離党表明する一幕もありました。
 大阪では総選挙後、東大阪府議補選、岸和田市長選挙がありました。ここで維新は、まともに語る政策も、政治的立場も持たず、東大阪では勝利したものの、総選挙後二週間で得票を半減させました。わが党の内海公仁候補が社民、自由、新社会党の推薦、立憲民主党衆院議員の応援もうけ、勝利には及ばなかったものの、総選挙得票を一・三倍、得票率で二倍の大健闘をみせたこととは対照的でした。岸和田市長選挙では、「維新政治をもちこませない」をかかげる現職の信貴芳則市長にたいして、菅官房長官、西村副長官らの後押しを受け、「自民党推薦」候補をたてましたが、敗れ去りました。「官邸頼み」でも「保守+市民、民主勢力」に敗れたことは、新たな打撃になっています。
 維新は、態勢立て直しへ、一一月二五日に「臨時党大会」を開きました。代表選挙なしに松井代表が続けること、そして「大阪都」をやりとげるためにつきすすむことを確認しました。

3、維新を少数派に追い詰め、「大阪都」を許さず、「維新政治」を終わらせる

 大阪府・市政においても、「維新政治」の暴走と行き詰まりはうきぼりです。

(1)大阪府市法定協議会で

 「大阪都」構想をめぐって、維新は「副首都化のための大阪都」「『特別区案』だけでなく、『総合区案』も議論する」と装いを変え、公明党を抱き込んで「大阪府市大都市制度(特別区設置)協議会」(法定協議会)を設置。彼らの存亡をかけて「住民投票」へとひた走っています。
 新たな「特別区案(四区案と六区案)」の本格議論が開始された一一月二四日の第五回法定協議会で、日本共産党の山中智子市議団幹事長は、基本点を突きました。
 ㈰住民投票で否決された案と今回の素案はどう違うのか。本質を一つも変えない。㈪「大阪府・市」が別々で不都合なものを何かあげられるのか。㈫つまるところ、「大阪都」の狙いは大阪市の資産を府が「むしり取る」ためではないのか。㈬広域インフラ整備は国が多くの権限をもっており、「府市一体」は関係ない。㈭「成長戦略」は「IR(カジノ)」ぐらいなのか。
 他会派からも、「『財政シミュレーション』をだすなら、いまの大阪市のままではどうなのかをだすべき」「都区調整財源に地方交付税は使えず、法改正が必要になる。法改正後に検討するべき」などの疑問、異論が多くでました。
 松井知事は会議後、これらの議論は「反対のための反対だ」と毒づきました。
 「来年(二〇一八年)の九月か、一〇月に住民投票」と叫ぶ松井知事らの攻勢を甘く見ることはできません。
 しかし、「大阪都」がかかえる矛盾は大きいものがあります。
 何よりも、なぜ政令市・大阪市をつぶさなければならないのか。くらしを守る権限・財源を「都」に吸い上げさせれば、市民サービスが維持できないではないか。「一人の指揮官」によるやりたい放題は、地方自治の根本否定になる──「大阪都」がかかえる根本問題は、小手先の「修正」では解消できません。
 世論も、「読売」調査(一一月二一日付)では、大阪市内は一年前から「反対」が五ポイント増えて四七%、「賛成」が一〇ポイント減少し三七%となっています。
 維新が頼みの綱にする公明党は、総選挙では大阪市内の現職衆院議員が「私たちも『大阪都』には絶対反対です」と訴えました。「自公協力」を得んがための策であり、創価学会幹部は「住民投票」まではやらせる方向をとっていること、前回も官邸仕込みで一夜にして態度を翻らせたことなど、予断は許しません。しかし、公明党がかかげる「総合区」は大阪市存続を前提にしたものであり、吉村市長は「大阪都」のための「カムフラージュ」だと公言しています。「総合区」と「特別区」を天秤(てん びん)にかけるだけで、世論最大多数の「いまの大阪市のまま」という選択肢を除外した「住民投票」など許されるはずがありません。
 「維新」の「強さ」は侮れません。しかし、「大阪都」を正面から争った二〇一三年、二〇一七年の堺市長選挙、二〇一五年の大阪市「住民投票」は、いずれも「大阪都ノー」の明瞭な審判が下されています。「オール大阪」の共同の力で、住民投票そのものをストップさせるために全力をつくします。 

(2)府、市で問われる維新政治

 維新政治による問題は、他にも山積みです。
 森友学園疑惑 森友疑惑は、国有地「八億円値引き」問題とともに、松井府政が、なぜ「瑞穂(みず ほ)の國(くに)小学院」の私学認可をおこなったのかという点でも大問題です。籠池前理事長は「ハシゴをはずしたのは松井さん」と証言しています。
 党大阪府委員会は森友問題追及プロジェクトチームをつくり、辰巳参議院議員ら国会チームとも連携してきました。このなかで府議団は、宮原たけし団長が維新府政が私学認可基準を緩め、歪(ゆが)めて森友学園に便宜をはかってきたことや関連業者から維新への企業献金があったことを暴露しました。石川たえ府議は、塚本幼稚園の要支援児にかかわる補助金不正を暴き、私学審議会で「財政は大丈夫」と報告されたが、その根拠とされた森友学園への「多額の寄付金」が虚偽だった事実もつきつけました。
 維新も「府政私物化」で、「アベ友」への便宜をはかったのか。さらに追及が必要です。
 国保の「府一元化」 松井府政は、来年度からの国保の「都道府県化」で国保料率を府内一本化する方針をだしました。保険料を抑えるために、多くの市町村が行なっている国保会計への独自の繰り入れを「解消する」とします。改正国保法でも、「努力義務」とするだけなのに、法定外繰り入れ解消に従わない市町村にはペナルティーも示しています。低所得者や障害者、ひとり親家庭などの保険料減免制度も府内一本化して縮小し、これらによって低所得者ほど大幅な保険料値上げになります。枚方市では四〇代夫婦と未成年の子ども二人の四人世帯で年間所得が二〇〇万円の場合、年間三一・七万円が四〇・一万円と八万円以上になる試算がでています。
 「激変緩和措置」も市町村まかせで、「(国や府の保険料抑制措置が)講じられない場合は、混乱を回避し、円滑な新制度移行を図るため、統一保険料の導入の延期も含め、しかるべき判断を強く求める」(堺市)などの要望があがります。
 維新府政による国保料大幅値上げを許さず、医療・介護の負担軽減を求める府・市町村一体の大運動をおこすことが求められます。
 カジノ誘致と「万博」問題 維新は「カジノは『大阪都』の試金石」(橋下氏)と位置づけています。二〇一六年、安倍政権と結託して「カジノ解禁法」を通し、大阪誘致を叫び、これともセットに「大阪万博」をうちだしたことに、党大阪府委員会は「『夢洲・カジノ万博』の誘致に反対する」(二〇一六年一一月)、「カジノ実施法は許さない! 夢洲(ゆめ しま)誘致をやめさせよう!」(一七年一月)を発表しました。
 人の不幸の上に成り立つのが「カジノ」です。「読売」世論調査でも、カジノを含む「IR」誘致の構想に「反対」が五七%、「賛成」三〇%となっています。「IRはカジノではない」などのごまかしを打ち破り、また「万博」は「カジノ付き」であり、大阪湾の埋立地に新たに無駄な大型開発事業を重ねることを狙ったものであることを知らせ、追い詰めます。同時に、庶民と中小企業のふところをあたためて成長するまっとうな経済政策に舵(かじ)を切り替えることを対置して、府民運動を強めます。
 住吉市民病院廃止問題 住吉市民病院は、橋下大阪市長(当時)が近くに府立の医療機関があるから「二重行政」だと決めつけ、存続を求める区民過半数の署名も無視して「廃止」決定を強行した大問題です。批判の前に「民間病院誘致」をいいだしたものの、市民病院の社会的役割を含む機能をひきつげる民間病院は見当たらず、三回の公募と個別誘致の計四回誘致に失敗しています。
 追われる吉村市長は、「大阪市立弘済院付属病院」や「市大医学部付属病院」の誘致などをうちだしましたが、公立病院を持ってくるというのは、みずから「二重行政批判」の誤りを認めるものです。
 一二月五日大阪市議会民生保健委員会に出席した住吉市民病院の舟本病院長は、病院が果たしている社会的役割にふれ、「府立急性期センターへの引き継ぎはすすんでいない」「このままでは医療空白が避けられない」とのべました。
 この問題では、住吉市民病院の一一の医療機能継承について一〇月五日に府市と両病院機構で確認書を交わしています。党や「住吉市民病院を充実させる市民の会」は、この内容は住民や地元医師会の不安を取り除くものであり、住民説明会を速やかに開くとともに、大阪市が責任をもって公的医療機関をと迫り、宣伝・署名運動をすすめています。
 サンフランシスコ姉妹都市解消問題 吉村大阪市長は、サンフランシスコ市議会が一一月、旧日本軍の従軍慰安婦像の寄贈を受ける議案を全会一致で可決したことから、六〇年間続いたサンフランシスコ市との姉妹都市を解消することを発表しました。山中党市議団幹事長はすぐに批判コメントをだしました。
 これは橋下氏以来、「慰安婦は必要だった」とする維新の恥ずべき歴史観を改めて国際社会にさらけだすものです。これでよく「万博」を誘致し、各国から参加者を迎えるなどといえるものです。
 また自分が気に食わぬから姉妹都市を解消するというおぞましさに、民間交流をすすめる市民団体からも怒りがわきあがります。
 そもそも姉妹都市関係を深刻に傷つけたのは二〇一三年の橋下暴言でした。この暴言には堺市議会も、公職辞任を求める決議をあげましたが、サンフランシスコ市議会でも「慰安婦制度を正当化する橋下市長の態度と発言を強く非難する」決議が採択され、橋下氏が訪米予定を断念せざるを得なかった経緯もあります。
 吉村市長は姉妹都市は解消方針を撤回し、行政レベルでも、民間レベルでも、豊かな対話と交流を重ねるべきです。
 教育破壊とその矛盾 二〇一一年に橋下知事が強行した「教育基本条例」をテコに、子どもと教職員にたいする競争としめつけ、政治介入・支配がすすめられます。
 昨年、『AERA』が「『維新』で傷む大阪」を連載で特集しました。六月一二日付の「体罰より悪い不起立 大阪から逃げる教員」で、教育の多様性を否定する維新政治下の教育に、ベテラン教員も逃げ出し、教員採用試験応募者が大きく減る姿をとりあげました。
 「チャレンジテスト」では、学校ごとに平均点をだしてランク付けし、その学校別ランクに応じて、子どもたちの内申書がつけられるため、成績の悪い子に「テストは休んだら」とひどい会話が横行する。府立高校は、三年連続入試定員割れというだけで次々に廃校が強行される。府大・市大があることも「二重行政」だとしゃにむに統合をすすめる。そして国会でもとりあげられた「黒髪強要」検査──。
 維新による教育壊しを許さず、少人数学級実施をはじめ、府・市政が果たすべきどの子ものびのびと育つための教育条件整備へ、共同の力を注ぐことが必要です。

(3)「オール大阪」のたたかい、さらに

 二〇一八年は安倍政権と維新の結託による「改憲発議」を絶対に許さない、また、維新による「大阪都」への「住民投票」を許さない点でも一大闘争が展開されます。そのなかで二〇一九年春の統一地方選挙、夏の参議院選挙、秋の大阪府知事・市長ダブル選挙へと舞台がすすみます。
 「明るい民主大阪府政をつくる会」「大阪市をよくする会」は「共同闘争本部」を組み、「大阪都ストップ」へ総力をあげる構えです。二〇一五年の住民投票できずかれた「オール大阪」の共同の輪をさらに広げるとりくみも各界ですすめられつつあります。総選挙できりひらいた「市民と野党の共闘」を前進させること、そして何よりも大阪の日本共産党の自力を強めることが、「維新政治」を打ち破り、国政で少数派に追い詰めるうえで決定的です。
 大阪の日本共産党の真価を丸ごと発揮して、このたたかいの先頭にたちます。

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