政策・提言・声明

2011年06月24日

「君が代」強制条例の問題点は何か――民主主義と教育を守るために

2011年6月24日
日本共産党大阪府委員会文教委員会

 大阪府の橋下徹知事を代表とする「大阪維新の会」は、府内の公立学校での入学式や卒業式などでの「国歌斉唱」の際、教職員に対して「起立」「斉唱」を強制する条例案を提出し、6月3日夜の府議会で可決強行しました。日本共産党をはじめ府議会主要4会派が反対。労働、法律、教育関係者をはじめ広範な府民世論の批判が広がるなかでの強行です。こうした条例制定は全国的にも例がありません。大阪府教育長も府議会答弁(5月27日)で「条例による義務づけは必要ない」と述べ、新聞も「条例までは不必要だ」(「毎日」6月2日付社説)と書きました。

 「あの一票は何だった」(「朝日」5月26日付社説)と言われるように、「維新の会」の選挙公約(マニフェスト)にもなかったもので、最初の仕事の一つが「君が代」強制条例案の提出と強行とは驚きです。

 いっせい地方選挙後の5月府議会は、主として議会構成などを定めるとされており、会期も16日間と短いものです。短期間の府議会で、公約にもなかった条例案を突如として持ち出し、「数の力」で強権的に押し通したことは、民主主義を破壊する歴史的暴挙です。

 私たちは、こうした「君が代」強制条例の問題点を明らかにし、民主主義と教育を守るために力を尽くします。

「君が代」強制条例――憲法と教育の条理からみて

思想・良心の自由、内心の自由を侵害する

 第一に、「君が代」強制条例は、憲法19条が保障する思想・良心の自由、内心の自由を侵害するものであり、国民や教育に強制しないという「国旗・国歌法」(1999年)の制定趣旨にも反するものです。

 「国旗・国歌」の使用については、国が公的な場で「国と国民の象徴として」公式に用いることはあっても、教職員や子どもに、また国民一人ひとりに強制すべきことではありません。「国旗・国歌法」が強行された1999年の国会でも、教職員や子どもに、憲法19条で保障する「内心の自由」にまで立ち入って強制しないということが繰り返し政府答弁で確認されました。これは、今日にも生かさなければならない民主主義の大原則です。

 アメリカの連邦最高裁が1943年に「教育委員会が国旗への敬礼を子どもに強制することは、信教の自由を保障した合衆国憲法に違反する」と判決(バーネット事件)をくだしたことなどにみられるように、「国旗・国歌」を国民と教育に強制しないということは、世界の常識です。

 憲法19条は当然、公務員にも保障されます。同時に、知事を含む公務員には憲法尊重擁護の義務(憲法99条)があることも強調されなければなりません。

 戦前の公務員は「天皇の官吏」でしたが日本国憲法では「全体の奉仕者」(憲法15条)です。過半数を握ったからと言って、特定会派とその代表が「条例」を押し付けることは、「全体の奉仕者」である公務員を「上命下服の規律」に押し込めるものです。地方自治は民主主義の学校という通念にも反します。

憲法が示す教育の自由、自主性を踏みにじる

 第二に、条例は、憲法が示す学校教育における教育の自由・自主性を踏みにじるものです。

 とりわけ、「人間の内面的価値に関する文化的な営み」である教育においては、憲法の立場からその自由や自主性が尊重・保障されなければならず、「教育内容に対する国家的介入はできるだけ抑制的でなければならない」(最高裁学力テスト問題判決、1976年)ものです。

 その立場に照らして、学校教育で「国旗・国歌」をどう扱うかは、教育内容の一つとして学校で議論し判断すべき問題であり、条例や指示文書、職務命令などで教育行政が強制・命令すべきことではありません。文部科学省の学習指導要領でさえ「国旗・国歌」は「指導するものとする」にとどめ、義務付けをしていません。学校教育での強制や命令はなじまないものです。

教師の人間としての尊厳を奪う

 第三に、条例は、教師の人間としての尊厳を奪い、そのことが子どもの成長・発達を歪めることになります。

 教育の条理から学校では本来、子どもにとって「不合理」なことや「問答無用」なことはあってはなりません。教育は精神的・文化的営みであることから、教師への「起立」「斉唱」の強制は、子どもと教師の教育的な関係を歪め、子どもへの強制につながることになります。それが、子どもの成長・発達を歪め、子どもの心にも影響していくことは明らかです。

 子どもをあたたかく迎える入学式、門出を祝う卒業式は、学校教育の重要な節目であり、「最初の授業」「最後の授業」と言われるものです。その場が強制・命令の場であってはなりません。

 こうした、憲法が保障する個人の尊重、思想・良心の自由、教育の自由は、戦前、侵略戦争を推進するために国家が国民の人権を抑圧し、軍国主義教育を強制した歴史の教訓・反省の上に確立されたものです。

狙いは「愛国心」の押し付けと教職員の統制に

条例第1条で示された驚くべき「目的」

 「君が代」強制条例の目的は、第1条で明らかにしているように、学校行事の「国歌斉唱」で教職員に「起立」「斉唱」を強制し、府立学校を含む府の施設で「国旗」を常時掲揚させることを通じて、府民と子どもに「愛国心」(愛国意識の高揚)を押し付け、教職員を統制することにあります。これは、戦前の軍国主義教育を通じて国民と子どもを侵略戦争にかりたてた歴史を想起させる驚くべき時代錯誤の内容です。

 愛国心を培うことなど市民道徳の内容は、国家や行政などの政治的な特定の価値観や歴史観によって押し付けられるものではなく、教育の自由で自主的な営みを通じて、歴史や文化、民衆のくらしなど事実に基づいた学習や、憲法の精神に立った主権者としての政治的教養を身につけること、教育・文化など社会全体の国民的な営みのなかで、子どものなかに形成されていくものです。

 「服務規律の厳格化」の名による教職員の統制は、時の権力者の考えに合わない教職員を排除し、力ずくで従わせようとするものであり、21世紀の日本では通用しません。

「維新の会」中枢に侵略戦争を正当化する勢力が

 条例案を提出した「維新の会」府議団14人のうち、幹事長はじめ6人が、日本会議地方議員連盟(ホームページ)に名を連ねており、「維新の会」中枢が、侵略戦争を正当化する勢力(「靖国」派)であることが浮かび上がっています。過去の侵略戦争を反省しない勢力が主導して提出・強行したのが、「君が代」強制条例です。

民主主義と教育を守るために

「君が代」強制条例を廃止し、教育条件の拡充を

 「君が代」強制条例は、やり方、内容、目的のいずれをとっても憲法と民主主義、教育の条理からみて重大な問題点をもつ憲法違反の条例です。一日も早く廃止すべきです。

 大阪府の教育にいま求められているのは、「国旗・国歌」の押し付けではなく、府民と学校関係者の切実な教育要求に応えて、学校耐震化や少人数学級など教育条件を整備・拡充し、憲法と教育の条理にもとづく教育政策への抜本的転換をはかることです。

「君が代」「日の丸」の歴史と問題点

 「君が代」は、1880年に海軍省の依頼により宮内省雅楽課で作曲されたのが始まりで、その後、小学校の儀式での斉唱を義務づけたことから、戦前、国歌的な扱いをうけました。内容は、天皇の日本統治をたたえる意味で使われてきた歌であり、「国民主権」を定めた現憲法とは相いれないものです。

 「日の丸」は、もっと古い歴史をもっていますが、国旗としては1870年、太政官布告で陸海軍がかかげる国旗として定めたのが最初です。太平洋戦争中、侵略戦争の旗印となってきたことから、国民のなかに拒絶反応をもつ人々も多く、現在でも国民的な合意があるとはいえません。外国でも日本と同様、第二次世界大戦の侵略国であったドイツとイタリアでは、大戦当時と同じ旗を国旗としていません。

 私たちは、「国旗・国歌」問題については、問答無用で府民と教育に押し付けるのではなく、「日の丸・君が代」の歴史も踏まえ、21世紀の日本にふさわしい「国旗・国歌」のあり方についての府民的な討論と合意が大切だと考えています。

「君が代」強制条例を批判する府民世論

 憲法と教育の条理のうえで重大な問題点をもつ「君が代」強制条例を批判する府民世論は短期間のうちに急速に広がりました。労働、法律、教育関係者による声明、弁護士、憲法・教育学者、宗教者、元教育長、元校長らが批判・反対の声を上げ、日本共産党府会議員団は府議会で「君が代」強制条例案の問題点を明らかにしました。

 橋下知事は9月府議会にむけて、憲法違反である「君が代」強制条例の上に、「国歌斉唱」時に「不起立」の教職員を「懲戒免職」にもできる条例案を提出する方針です。これを許さない世論と運動が重要です。

 日本共産党は、府民と教育への「国旗・国歌」の押し付けに反対し、民主主義と教育を守るための共同を広げるとともに、府民の切実な教育要求の実現に向けて力を尽くします。

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