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「君が代」のルーツが堺の寺に!? 顕本寺の僧創作の隆達節

2007年05月25日

「君が代」ルーツは堺の寺院に?
顕本寺の僧創作の隆達節

 堺市堺区の日蓮宗顕本寺に、 「君が代」 のルーツを示すとも思われる興味深い屏風 (複製) があります。 同寺の僧で、 江戸時代初期に流行した小歌 「隆達節」 の創出者、 高三隆達 (たかさぶりゅうたつ、 15271611) 直筆の書です。 最近、 隆達節と 「君が代」 生誕の秘密のつながりを研究している経済学者、 工藤晃さん (81) の取材に同行しました。

  『広辞苑』 第五版によると、 「君が代」 については、 歌詞は 「江戸時代の隆達節の巻頭第一にあるものと同じく、 さかのぼれば古今集には初句を 『我が君は』 とした和歌がある」 とあり、 「隆達節」 とは、 「江戸初期の流行歌。 泉州堺にある日蓮宗顕本寺の僧隆達が創めた小歌。 一六〇〇年 (慶長五) ごろに流行、 近世小唄の源流をなした。 隆達小歌」 と説明しています。

薩摩琵琶歌一節が通説

 これまでの通説では、 「君が代」 は、 1869 (明治2) 年ごろ、 明治天皇を迎える儀式で演奏用にと、 当時、 薩摩藩砲兵隊長だった大山巌が薩摩琵琶歌の中の一節から選び、 海軍楽隊教師のイギリス人ジョン・ウィリアム・フェントンに作曲を依頼したとされています。
 工藤さんは、 この通説に疑問をもちました。 『広辞苑』 からヒントを得て、 「隆達節」 を研究すると、 江戸初期の流行歌だっただけでなく、 江戸時代を通して伝えられたこと、 特に色町に伝えられたこと、 一方、 薩摩藩士は同藩の財政力が豊かだったことから、 江戸でも関西でも遊郭の常連として有名だったことをつきとめ、 薩摩藩士が色里で、 隆達節の 「君が代」 を覚え、 それをフェントンに作曲依頼したことが、 「君が代」 のルーツでは、 と考えるようになりました。
 このことを堺出身の日本共産党の吉井英勝衆院議員に伝えると、 吉井さんはすぐに顕本寺を訪ねたところ、 新事実が分かりました。
 一つは、 幕末薩摩藩の武士が堺で歌われていた 「隆達節」 を聞き、 明治、 大正時代に広めたこと、 もう一つは、 戦後、 現住職になり、 「君が代」 の隆達の屏風がボストン美術館にあることが分かり、 住職が3回館長を訪ね、 返品を交渉したが許されず、 「写し」 を撮ることが許され、 現在の寺にある、 ということでした。

全国を風靡した隆達節

 これで、 薩摩藩士が堺の遊里で隆達節を覚えて 「君が代」 を提案したことから、 その 「国歌」 への昇格が始まった可能性が大きくなりました。
 そこで工藤さんは、 地元の歴史学者とともに顕本寺を訪れることにしたのです。
 顕本寺を訪ねると、 住職の三島秀也さん (90) と妻の芳子さん (73) が温かく迎えました。
 境内には隆達の墓と碑、 隆達節の復興に尽力した4世歌澤土佐芝金などの碑が建っています。
 堺市制100周年記念し 「フェニックス堺」 (1989) は隆達について、 「天性美音であり。 僧として学んだ声明、 諷誦はじめ各種の音曲に精通し」 たとし、 隆達節は室町時代の 『閑吟集』 の流れをくむもので、 ちょうどそのころ琉球から伝わった三味線とともに、 全国を風びしたとも紹介。 その後、 一時は低迷しますが、 後世の普及の努力により、 今なお全国大会が開かれるなど伝統芸能として定着しています。
 本堂に上がらせてもらうと奥に屏風がありました。

ほとんどがラブソング

 屏風は六曲一双で、 自由奔放な遊里の風景が四面分に描かれ、 両脇に隆達の筆による書があります。 1602 (慶長7) 年、 隆達75歳の時のもので、 最初の1首が 「君が代」 の歌詞と同じの 「君が世は千代にや千代にさざれ石の岩ほとなりて苔のむすまで」。
 他の歌も見ると、
 おもひきれとは身のままか誰かはきらむ恋のみち
 雨の降る夜の独り寝はいずれ雨とも涙とも
 月夜のからすはほれて啼く我もからすかそなたにほれてなく
 などほとんどがラブソングで、 「君が世」 の 「君」 も明らかに自分にとって親しい人、 愛する人の意味。
 工藤さんが、 薩摩藩と寺の関係を尋ねると、 「顕本寺は別名、 薩摩寺とも言われたそうです」 と芳子さん。
 工藤さんは、 「高三隆達は、 泉州堺の町衆の自由な精神を代表した傑出した人物で、 美声の歌い手だっただけでなく、 歌の形式も内容も即興詩人のようで、 500を超える歌を見ても、 日本の民衆音楽、 民衆芸能のビッグバンのようです」 とし、 次のように語りました。

甚だしいすり替えでは

  「隆達が最も大事にしていた 『君が代』 は、 『いつまでも、 いつまでもお元気でね』 という温かい心を伝える意味。 それを天皇制の政治体制を千年も八千年もとは、 はなはだしいすりかえで許されないこと。 隆達を顕彰するためにも、 隆達の心をくんだ君が代が歌われるように、 君が代を隆達節に戻す必要がある。
 もう一つは、 酒の席などで歌っていた歌を、 子どもたちに厳粛な顔をして歌わせるのはいかがなものか。 まして、 現在、 学校現場などで歌うことを強制することはとんでもないことですね」

投稿者 jcposaka : 2007年05月25日

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