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広がる草の根の連帯と問われる日本政府の責任 「慰安婦」問題考える旅に参加して

2013年08月25日

 戦争中の加害責任から目をそらし、再び日本を戦争する国にしようとしている安倍政権、橋下大阪市長・維新の会共同代表の「慰安婦は必要だった」発言などへの国内外の批判が高まる中、「『慰安婦』問題を考える平和と交流、文化の旅」(8日〜11日、韓国)に参加しました。旅は東京の旅行会社が企画。関東、関西から26人、大阪からは7
人が参加しました。(佐藤圭子編集長)

国家犯罪によって踏みにじられた人生

 初日に訪れたのは、ソウル市内に昨年5月オープンした「戦争と女性の人権博物館」。「慰安婦」問題の歴史を後世に伝える史料館として、9年掛かりの募金活動で建設されました。館内では、元「慰安婦」の被害体験や記憶、史料、名誉回復を求めた活動などを紹介しています。  博物館では、「慰安婦」被害者の証言記録映像とともに、被害者の肉声で製作したアニメを上映しています。

抵抗するとアヘン打たれて

 この日は、04年、80歳で亡くなった鄭書云(チョン・ソウン)さんの体験を紹介。鄭さんは14歳の時、千人針の工場で働くように言われ、連れられた先のインドネシアのスマランで数えきれない日本兵に強姦され、抵抗するとアヘン注射を打たれました。自殺未遂もし、日本降伏後、銃殺をたまたま免れて故郷に戻りますが、両親はすでに死亡していました。
 博物館を運営する韓国挺身隊問題対策協議会の梁路子(ヤン・ロジャ)人権チーム長は、「日本政府は範囲を狭めて強制はなかったと言うが、工場で働くと言ってだまして連れて行くこと自体が詐欺で犯罪。証拠をと言うなら日本政府が持っている資料を見せてほしい」と話していました。

この私が生き証人なのに

 館内階段の「叫びの壁」には被害者の顔写真と言葉を展示。「青春を返しておくれ」「この私が生き証人なのに日本政府はなぜ証拠がないというのですか?」「たった一言でもいいから心のこもった言葉を聞きたい」。塗炭の苦しみを強いられた被害者の声が胸を突きます。

ハルモニらの生あるうちに

 慰安所問題をめぐり、日本政府が軍の関与と責任を否定する国会答弁を行ったことに憤り、金学順(キム・ハクスン)さんが政府を提訴したのは91年。以来、韓国では、ことし申告した人も含め、237人が日本軍「慰安婦」として名乗り出ていますが、2000年以降は1年で10人から15人が死亡。一行が滞在中の11日にも1人亡くなり、生存者は58人になりました。
 梁さんは言います。
 「日本政府の国家的犯罪により、10代で被害に遭い人生を踏みにじられてきた。あの人たちは売春婦だと、日本の右翼の人たちが大声で叫ぶ社会である限り、問題は解決されない。日本軍慰安婦という事実があり、社会に救済を受けたということが後世に伝わっていくことこそが解決」「来年も再来年もない。ハルモニ(おばあさん)たちが一人でも多く生きておられるうちに解決できるよう、一緒に手をつないで連帯していきたい」

解決済みとする日本政府の主張は成り立たない

ナヌムの家での記念行事に

 日本軍「慰安婦」のハルモニたちが共同生活するナヌムの家(京畿道広州市)で10日、施設設立21周年と、併設する日本軍慰安婦歴史館開館15周年記念行事が行われ、日韓から約300人が参加しました。
 記念行事では、昨年10月、日本の衆議院議員として初めてナヌムの家を訪れた日本共産党の笠井亮衆院議員が、同党を代表して出席し、韓国の各党国会議員と共に来賓あいさつしました。
 笠井氏は、志位和夫委員長の祝辞を代読。志位氏はメッセージで、「日本軍『慰安婦』問題の解決は、被害者の方々の年齢を考えても、緊急の課題」だとした上で、歴史をゆがめる逆流と真正面から対決した同党が参院選で躍進したと報告。結党以来91年間、侵略戦争と植民地支配反対を掲げたたかった歴史を持つ党として、「日本の政治をアジアや世界から歓迎される方向に転換させるため、全力を尽くす」と述べました。

日本が誠実に協議に応じて

 笠井氏は、この8月、1965年の日韓請求権協定締結時に外務省が、日韓間で対立する見解が生じた場合、外交上の努力で解決されるべきだとする条約解説をまとめていた事実をつかみ、明らかにしたと報告。慰安婦問題は解決済みとする政府の主張は成り立たないとし、「日本政府が協議に早急、誠実に応じ外交的解決に努めるよう全力を尽くす」と語りました。
 韓国の国会議員は、「アベ」「アソウ」などの名前を挙げ、日本の侵略事実を認めない安倍首相らの姿勢を批判。「そんな中での政治は大変だが、笠井さんのような議員がいることは助けになる」と述べていました。

間違った歴史には必ず真実が勝つ

 朝鮮で最重要文献の朝鮮王朝儀軌が11年12月、日本から韓国に返還されました。朝鮮王朝の公式行事を記録したもので、植民地支配時代、朝鮮総督府が王立図書館の奎けい章しょう閣かくから持ち出し、宮内庁に寄贈していました。
 朝鮮王室儀軌還収委員会事務局長で僧侶の慧門(ヘムン)さんに、返還運動をめぐるドラマを聞きました。
 慧門さんは、04年、留学先の京都で手にした本で、朝鮮王朝実録が東京大学にあることを知り、帰国後、返還運動を開始。実録は06年7月に返還され、韓国の国宝になりました。

儀軌返還に尽力した共産党

 「小さな寺のお坊さんが日本の最高の知識人である東京大学に向けて運動を始めたのは、卵で岩とけんかするようなものだった。間違った歴史であれば真実が必ず勝つ。魂のこもった卵で岩を破り、日本の良心的な人たちを動かした」と慧門さんは語りました。
 実録返還直後の06年9月、朝鮮王朝儀軌返還運動がスタート。5年がかりの活動が実り、返還されました。
 この問題で日本の国会でいち早く行動したのが日本共産党でした。07年5月、緒方靖夫参院議員が参院外交防衛委員会で問題を取り上げ、笠井議員も日韓両政府間の共通認識を広げるために奔走。慧門さんは「儀軌が返ってくるまでに一番力を入れてくれた人」として笠井氏の名前を挙げました。

文化財だけの問題ではない

 さらに朝鮮王朝時代に王が身に付けていたよろいとかぶとが東京国立博物館に保管されていることも明らかになり、博物館との交渉の末、ことし10月1日から初めて、博物館で公開されることになりました。慧門さんは、「韓国の文化財だけの問題ではなく歴史の問題」だと強調しました。

再び過ちを侵すことなく隣国と真の友情を

 埼玉県から家族でツアーに参加した21歳の女子大生Mさんは、旅の感想をこう語りました。

若い世代に伝えていきたい

 「慰安婦問題は、学校でいっさい聞いたことがなく、最近になってニュースで耳に入ったぐらいで、詳しく知ったのは初めて。何も知らずに生きてきた自分も恥ずかしいし、そういう社会にした日本政府も恥ずかしい。これからは私も友達や若い世代に伝えていきたい」
 「慰安婦」問題での日本政府の謝罪・賠償などを求め、92年から毎水曜、ソウルの日本大使館前で開かれてきた水曜集会は、当初10人ぐらいの行動でしたが、今では毎週1千人から1500人以上が参加。その多くが10代、20代の若者で、1千回を達成した11年12月14日の報道を機に参加者が膨れ上がったといいます。
 第11回アジア連帯会議(昨年12月、台北)では、金学順(キム・ハクスン)さんが91年、日本軍「慰安婦」として初めて名乗り出た8月14日を、日本軍「慰安婦」メモリアル・デーにすることを決定。第1回目のことしは、韓国の日本大使館前で1087回目の水曜集会が開かれ、大阪でもこれに呼応し、フィリピン被害者の証言と講演会が開催されました。

日本の危機を世界がみてる

 夏の参院選結果について、韓国挺隊協の梁さんは、「自民党圧勝で衆参のねじれがなくなったことで、憲法が変えられてしまったら大変。日本が大きな危機にさしかかっていると、アジアだけでなく世界が見ている。日本の国内で活動している人が、どれだけ声を挙げてたたかうか注視している」と話していました。
 ナヌムの家で、涙を何度もぬぐいながら手を握り締めてくれた白髪のハルモニたちの姿を胸に、一刻も早い慰安婦問題解決とともに、再び過ちを侵すことなく、隣国と真の友情を築ける日本にするための活動をさらに広げる必要性を実感した旅でした。(2013年8月25日付「大阪民主新報」より)

投稿者 jcposaka : 2013年08月25日

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