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府民の声まっすぐ国会へ コータロー物語(下)国民の立場で変革を目指す日本共産党に誇り反戦貫く共産党に入党 テロ巡る世界の激動の中で

2013年04月14日

 米国・エマーソン大学の映画学科を卒業したコータローさんは、一人旅でヨーロッパやアジアの国々を回って01年に帰国。映像制作会社で働き始めたところに、一つの転機が訪れます。
 国連ボランティアとしてコソボ(当時のユーゴスラビア)に赴任していた次兄の知行さんから、「セルビア人の高校生を日本に招待したい」と相談がありました。コータローさんは会社を辞めて「コソボ高校生の日本招聘プロジェクト」事務局長に。日本への渡航費など200万円以上の資金を集め、母校・北野高校の生徒との交流や広島の原爆資料館見学などを企画。その時に起きたのが9・11のアメリカ同時多発テロでした。
 世界貿易センタービルに激突する飛行機の映像をテレビで見て、拍手を送るセルビアの高校生たち。「なぜなら、母国がアメリカを中心とする北大西洋条約機構(NATO)軍に空爆された歴史があるからです」とコータローさん。「でも僕は、武力は憎しみの連鎖しか生まないと考えるようになりました」
 翌02年、米軍はテロ報復でアフガニスタンを攻撃。コータローさんはテロや戦争に対する各党の態度を調べ、すべての新聞が「侵攻」と表現している中で、日本共産党だけが「しんぶん赤旗」で「侵略戦争反対」と書いていることに感動しました。
 父・正夫さんの議員生活や党活動を見て、「日本共産党は正しいと思うけれど、あんなにしんどい思いをしているのに伸びないじゃないか」と感じていたコータローさん。「世論調査でも『テロがあったのだから仕方がない』という意見が多かった中で、日本共産党は『テロは犯罪だが、戦争ではなく警察力で解決すべき』と堂々と主張していました。この党でないと駄目だと入党を決意したのです」

府議選で大激戦演じる
入党わずか半年で候補者に

 「此花で府議会選挙に出てほしい」――コータローさんがそんな要請を日本共産党西淀川・此花地区委員会から受けたのは03年3月。府議選が告示される約2週間前のことでした。入党してまだ半年の26歳。西淀川区から府議選に立候補した正夫さんを応援し、宣伝カーを運転していました。
 此花区の府議会定数は1。日本共産党を除く「オール与党」相乗りの社民党現職が、20年以上議席を占めていました。無名の新人でしたが党員や後援会員と力を合わせ、現職候補1万5496票に対して1万559票(得票率40・53%)を獲得する大健闘でした。
 2回目の挑戦となった07年の府議選では、吹田市から此花区に移った自民党前府議、社民党系の新人候補との三つどもえに。9637票(同41・56%)を得て自公相乗り候補を457票差に追い詰めました(当選した自民府議は後に維新の会に転身)。橋下・維新の会の旋風≠ェ吹き荒れた11年の府議選では当選は果たせなかったものの、1万265票を獲得するなど、日本共産党とコータロー候補への期待が寄せられました。

政治変革の必要性痛感
貧困と格差の広がりの中で

 03年の府議選後、コータローさんは此花区生活と健康を守る会(生健会)の事務局員となり、相談活動に取り組みながら、府議会議席への挑戦を続けていました。「生活保護を申請したいが窓口で門前払いになる」「高すぎる国民健康保険料が払えない」など、受けた相談は9年間で約7千件。夜間にも携帯電話に相談の連絡が入ったといいます。
 身寄りのない高齢者が認知症になり家賃を払えず追い出されている。子どもを抱えて離婚したが元の夫も仕事がなく養育費ももらえない――まじめに働いても生活保護水準以下の生活しかできない「ワーキングプア」が大きな社会問題になった06年ごろから、若者からの相談も急増しました。
 「此花区はかつて西六社という大企業があり、日雇い労働者が集まり、所得の低い人も多い行政区で、『構造改革』の影響をもろに受けています」とコータローさん。「貧困と格差の広がりの一方で、社会保障などのセーフティーネットが崩れ、いったん仕事を失えば誰もがそこに落ち込んでしまいかねない現実があります。大本にある政治を変えなければならないと痛感しました」
 5月に此花区内で開通する阪神高速淀川左岸線(1期)。85年に構想が浮上して以来、「公害道路はごめん」という住民運動や瀬戸一正前市議らを先頭にした日本共産党の活動で、一部区間をトンネル構造にする都市計画の変更を勝ち取りました。「長年の住民運動、日本共産党を大きくする粘り強い努力が続けられてきた此花区の皆さんに政治家として育てられました」。コータローさんの実感です。

府民の中に飛び込み必ず勝利手にしたい

 3回連続で挑戦した府議選で、政治変革を訴える若き候補者のコータローさんに、「なんであんたは共産党から出るのか」「なぜ維新の会から出ないのか」との声が数多く掛かりました。コータローさんは「それは通るかも知れません」と応じた上で、「民主党や維新の会の政策を知っていますか。住民サービスを切り捨てる政策を実行して困るのは、あなたやご家族。だから僕は日本共産党です」と胸を張って答えてきたといいます。
 昨年3月に大阪選挙区に立候補を表明して以来、大阪中を駆け巡ってきたコータローさん。「暮らし、平和、憲法と民主主義など、どの分野でも政治の対決軸がいよいよはっきりしてきました。自公与党やそれを補完する維新の会に絶対に負けるわけにはいきません。僕自身が先頭に立って府民の中に飛び込んで勝利を手にしたい」と決意を新たにしています。

日本明るくする議員になる
シングルマザーの吉平有希さん(40)

 6年ぐらい前から、住まいや役所の手続きのことを生健会に相談するようになりました。長女の有砂(9)との母子家庭で、役所に相談・手続きしなければならないことがあるのです。
 役所に相談すると、窓口の担当者によっては母子家庭の事情に明るくないことがあります。説明を受けても分からないまま帰ってくることも。
 でも生健会でたつみさんに相談すれば安心です。すぐに時間をつくってくれて、たとえ自分で分からないことがあっても調べて、その日のうちに答えてくれる。すごいパワーです。
 そんな生健会での頑張りそのままで、これまでの選挙も頑張っていました。国会議員になれば、心細いことも多い母子家庭が明るくなれる、日本が明るくなれる、そんな人です。

人を引き付ける明るさ備え
全大阪生活と健康を守る会連合会会長 松岡恒雄さん(65)

 此花生健会で約9年働き、生活保護をはじめ、さまざまな生活相談にあたってきました。相談者の感情をつかまえ、物事を解決していく力がありました。その人の立場に立って一緒に考え、積極的に行動していました。
 事務所で月に1度、商店街で街頭宣伝に立ちましたが、外に出て人前で話すことが得意だったようです。区役所や大阪市、府との交渉でも、積極的に発言していました。
 明るいキャラクターで、人を引き付けるところがあります。参議院候補になり、昨年4月に事務所で「追いだし会」をした時も、120人来たらいいほうだと思っていたら、会員が160人程来ました。
 選挙は、生半可なことでは勝てません。でも、社会保障改悪が差し迫った情勢の下、国会で活躍して悪政を食い止める1人になってほしいです。
(2013年4月14日付「大阪民主新報」より)

投稿者 jcposaka : 2013年04月14日

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