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基地たらい回しノー 憲法に帰る運動全国に沖縄の思い%`えたい 関西代表団 県内各地で視察・交流

2010年05月01日

 「4・25県民大会」に参加した安保破棄大阪実行委員会の「関西代表団」約50人は、4月23日から25日にかけて、安保破棄中央実行委員会の代表団とともに、米軍ヘリパッド(ヘリコプター離着陸帯)建設予定地の東村高江や、新基地建設が狙われている名護市辺野古、勝連半島沖などを精力的に訪ね、基地「たらい回し」ノーを訴えてたたかう沖縄県民と連帯しました(8面に写真特集)。

 4月24日昼過ぎに那覇空港に到着した関西代表団。約3時間かけて、沖縄本島北部の東村高江に向かいました。豊かな森に囲まれ、希少植物や絶滅危惧種の動物の宝庫であるやんばる(山原)。その中にある高江は、米軍の北部訓練場に隣接し、6カ所のヘリパッド建設が予定されています。

勝利できる

 「ヘリパッドいらない住民の会」共同代表の伊佐真次さんと、宜野湾市から座り込みに参加している阿部小涼さん(42)が、07年以来の座り込みの経過を詳しく報告。阿部さんは、「人口160人の小さな集落が、政府や米国と正面から向き合わされていることを知って、国と皆さんの住んでいる町で、アクションを起こしてほしい」と呼び掛けました。

 24日夕には名護市辺野古のテント村へ。新基地建設を許さない辺野古のたたかいを語った日本共産党名護市議の具志堅徹さん(やんばる統一連代表)は、「普天間基地の『移設』ではなく、閉鎖・撤去を。沖縄が、核も基地もない、日本国憲法の下に帰る運動を全国で発展させれば、必ず勝利できる」と強調しました。 人救う国に

 夜には、名護民主商工会の人たちが沖縄料理の数々を用意し、やんばる統一連主催の本土代表団歓迎会が開かれ、稲嶺進市長も駆け付けてあいさつしました。
 琉球大学などの非常勤講師で、ことし1月の名護市長選で出馬を辞退し、統一候補の稲嶺氏の勝利に貢献した比嘉靖さんは、「人殺しの手伝いをする国ではなく、アジアの中で人の命を救う国になろう。NO BASE ANYWHERE(基地はどこにもいらない!)」と、気迫を込めて訴えました。
 歓迎会では、読谷村在住の歌手・会沢芽美さんが、1955年に当時6歳の少女が米兵にレイプされ、殺され、米軍基地のごみ捨て場に捨てられた「由美子ちゃん事件」などを語りと歌で演じました。その夜、「由美子ちゃんのことが夢に出てきた」と語るのは、大阪市都島区から参加した青山むつみさん(59)。「初めて沖縄に来ました。大阪に帰って、私たちが伝えないといけない。若い人たちとつながりたい」と話しました。

時代の流れ

 25日午前は、うるま市の浜比嘉島へ。日本共産党うるま市議の伊盛サチ子さんの案内で、新基地候補に挙がっている勝連沖を視察しました。伊盛さんは、基地ができれば県内有数のもずく養殖や海が破壊されると強調。「保守的な立場の人が多かったが、時代の流れが変わり、市を挙げて基地を阻止する立場になっています」と語りました。
 うるま市勝連比嘉自治会区長で民宿を経営する平織(へしき)勇さん(63)は、「ここは景色のよい、信仰の深い神の島。絶対に基地は造らせない。基地は沖縄にも、日本中どこにもいらない。皆さんと頑張りたい」と語りました。
 大阪市北区の安保破棄実行委員会から参加した学童保育指導員の志賀昭宏さん(26)は、2月末の基地調査に続き2度目の沖縄。「県民大会で、『沖縄の基地問題を解決しなければ、日本は自立できない』という訴えを聞きました。日本人として共通の問題として、沖縄の思いを一つ一つ伝えていきたい」と話しています。

投稿者 jcposaka : 2010年05月01日

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