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堺市堺区錦之町「山口家住宅」 戦火免れた国の重要文化財 平和へ思い馳せ…

2010年03月12日

重文「山口家住宅」元家人 山口敬さん
龍馬のように国を動かす人に
人の命が大切にされる社会へ
大阪市議・参院大阪選挙区候補 清水ただしさん

 日本共産党の清水ただし大阪市議・参院大阪選挙区候補が、堺市堺区錦之町にある国の重要文化財「山口家住宅」を訪問。この家に住んでいた山口敬さん(84)=同区在住=の案内で住宅内を見学しました。

 慶長20(1615)年、大坂夏の陣で一帯が全焼した直後に建てられたと考えられている山口家住宅は、国内でも数少ない江戸時代初期の町家。1966年、国の重要文化財に指定されました。07年、堺市が買い取って整備、昨年10月から堺市町家歴史館として公開され、すでに1万人が訪れています。  薄明かりの家の中に入ると、奥に大きなかまどのある広い土間が広がっています。天井の太く長い梁を見上げながら「うわー、すごいですね」と清水さん。  元禄2(1689)年の堺大絵図では、この住宅部分は「越前屋」の屋号が記され、江戸時代には近隣町村の庄屋を務めていたことが分かっています。  山口さんは、後に大政翼賛会に合流した立憲政友会の幹事長で代議士も務めた11代当主、山口義一氏の次男。父の仕事の関係で、幼少のころは東京に住んでいましたが、義一氏亡き後、小学3年から20年間、この家で祖父母やおじ一家たちと暮らしました。  山口さんは、喜劇役者藤山寛美主演の松竹新喜劇がテレビで放映された際、この家が使われた時のエピソードなどを紹介するとともに、土間から清水さんを上に案内。座敷の手前の玄関の間で立ち止まった山口さんは、「ここで僕ら勉強してたんです。この前に仏壇があって…」と当時の様子を説明しました。

子ども時代から戦争一色だった

 「堺大空襲の時に、この家は消失を免れたそうですね」と清水さんが尋ねると、山口さんは「あの時のことははっきり覚えてます。隣の家まで焼けてしまったんですが、この家には焼夷弾が落ちなくて、奇跡的に助かったんです」と当時を振り返ります。
 「僕は戦争には行かんでも良かったけど、子どものころからずっと戦争一色でした。学校では人殺しの訓練をさせられ、死ぬことを教えられた。戦争反対なんて言えなかった時代でした。平和が一番です」と山口さん。「いまはいまで、国も府も、税金の使い方がどうもおかしい」とも。
 「本当です。人の命が大切にされる社会でなければ。そのためにも大企業優先でなく、国民や中小企業の暮らしや経営を応援する政治を実現したくて、国政に挑戦させていただくことになりました」と清水さんが話すと、山口さんから「坂本龍馬みたい。国を動かすために、ぜひ頑張ってほしいですね」と清水さんにエールが送られました。

投稿者 jcposaka : 2010年03月12日

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