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編集長のわくわくインタビュー 狂言師 安東伸元さん

2010年02月19日

観客参加型の狂言会にびっくり
狂言を身近で楽しいものに

 能楽界の既成の枠から独立し、別派で活動する狂言師の安東伸元さん。自らの公演の傍ら、狂言普及に情熱を傾け、主宰する狂言教室には落語家、チェロ奏者、主婦から小学生までさまざまな顔ぶれが集まります。先日、毎年恒例の狂言発表会を終え、24日には、弟子の森五六九(桂蝶六)さんの落語と狂言の会(4面)に特別出演。「狂言を身近で楽しいものにしたい」と語る安東さんを、吹田市の自宅兼けいこ場に訪ねました。(聞き手 佐藤圭子編集長)

 ――山本能楽堂の狂言発表会、初めてうかがったんですが、最初から観客みんなで謡の歌唱演習とは驚きでした。
安東 発表会でも普通の狂言会でも、あんなんやるのは僕らのところだけでしょうね。やり出して5、6年になるんですが皆さんに好評みたいで。
 謡は西洋音楽とは違って、地からはい上がってくるような響きでしょう。どっちが素晴らしいということではなく、根本的に違うんですね。だけど明治以降の日本の音楽の勉強は、学校にピアノやオルガンがあって、西洋音楽を学んだ先生が教えてきた。

古典芸能を新鮮に感じ

 7、8年前、大阪芸大の学生にレポートを書かせた時に、狂言のことを「異文化が面白かった」と書いていて本当に驚きました。だけど毎日毎日聴こえてくるのは西洋音楽。そういうものにどっぷり漬かっていたら、日本の古典芸能が異文化で新鮮だと感じてしまうんですね。
 日本には仏像だとか古い街並みだとか、昔の物はたくさんありますが、上辺だけが形骸化してしまっていて、人間の中に一歩入っていくと、中には日本の伝統がない状態になってしまっているんですね。
 いまはテレビをつけたらジャニーズや吉本ですが、この間、皆さんと一緒に歌った「雪山」なんかは、大切な人が無事であるようにと祈るきれいで優しいバラード。こういうものをいつも歌っていたら、ついカッとして人を刺すようなこともないと思うんだけどなあ。

太郎冠者は庶民の代表

 ――狂言を始められたのはいつなんですか?
安東 19歳のときでした。
 もともと父が観世流のシテ方でした。能というのは家元があってびしっとなっているので、そんな世界に入るつもりがなく逃げていたんです。そんな中で高校2年の時に初めて見たテレビで、グレンミラーのスイングした音楽やシャンソンなんかを聴いたときは本当にしびれました。その後も演劇に首を突っ込んだり、絵を描いてみたりいろんなことをしました。
 ところがのめり込んでいくと、しょせんこれは外国のものやないか。おれは日本人やぞ。親父は能をやっている。何かないのかと探したんです。
 そしたら狂言に興味がひかれて。狂言をやるということは、すなわち室町の中世にぶつかる。中世という時代は、日本でも西洋でも絶対君主制に対して市民層が勃興してきて、世の中が変動していく時期です。
 狂言の中にも市民の群像がいっぱい出てきます。そして市民の代表である太郎冠者は、使われる身分でありながらどこかシャンと生き生きしていて、思い切りのよいさわやかさがある。当時の庶民のいわば代弁者だったわけですね。いまのサラリーマンの大半が太郎冠者的な人物になったら、さーっと世の中が変わって、もっと大きく政権も変わるでしょうけどね。

家から離れ文化を発信

 ――お能も狂言も普通、家元を名乗りますが、安東さんのように個人名で活動されている方は珍しいですね。
安東 僕ぐらいでしょうね。19から始めたものの、やはり家元制度への反発があって、何をするにしても上にしていいですか?どうですか?と聞く人生ができなかった。 そんなことを発言していたら、同じように疑問を持つ仲間が集まって1981年に大和座という集団をつくったんです。
 ところが組織から離れると舞台活動に支障が出てくる。集まった連中もやがて家に帰って行って、結局、僕1人になってしまって、大和座狂言事務所にしたわけです。
 ――その間に企画制作されたシリーズ「OH!NO能楽ノート」では、能楽の魅力を紹介して能楽ブームのきっかけをつくられ、90年代には洋楽のクラシックや民族音楽と能舞の共演で国内外を回られたそうですね。
安東 いまも続いていますが、ストラビンスキーの「兵士の物語」を狂言言葉でやっています。
 われわれの文化は漢字の文化で、先祖が考えだした七五調はいまも交通用語など日常生活に生きています。文化の根本は言語であり言葉。世界の歴史をずっとひもといても、戦争に勝って占領する国は、まずその国の言葉を破壊します。それだけ民族にとって言葉というのは重要なんです。

根底にある庶民の娯楽

 フランスのパリの市民や学生、農民たちは、王侯貴族を揶揄(やゆ)したモリエールの芝居を観て、自分たちは朝早くから畑に行って仕事をしているのに、なぜあいつらは朝からダンスを踊ってワインを飲んでいるのかと考えるようになった。どんどんボルテージが上がり、ある日バンと爆発したのがフランス革命だという説もあります。
 演劇の持つ力、「笑い」が持つ力は本当に大きいんですね。
 狂言を含む能楽には根底に庶民性があります。ところがいま、古典伝統芸能というと一般市民にとって非常に敷居が高いものになっているんですね。そんな偏見がとれて、もっとポピュラーなものになるにはまだ時間がかかるでしょうが、明らかに変わりつつあるのは確か。
 私たちの舞台を通して、一緒に謡を歌いながら、ああ、狂言ってこんなに身近で楽しいものなのかと思ってもらえたらうれしいし、そういう後継者や同志をこれからもつくっていきたいですね。

あんどう・のぶもと 1935年生まれ。1964年、能楽協会入会、狂言方能楽師になる。茂山忠三郎家同門。80年から教育機関に出講。市民対象の古典芸能普及公演活動を各地で展開。01年、重要無形文化財(能楽)総合認定保持者。日本能楽協会会員。大和座狂言事務所代表。吹田市在住。

投稿者 jcposaka : 2010年02月19日

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