>>>ひとつ前のページへトップページへ

清水エッセイ

2009年12月11日

 豊中市で行われた党と後援会のつどいに、妻の両親が参加してくれました。豊中市庄内の実家を訪ね、「娘さんと結婚させてください」と頭を下げたのが8年前。当時は「しんぶん赤旗」の出張所長でした。もともと保守系議員の応援もしていた義理のお父さんからは、「共産党?それやったら国会議員くらいにならんかい!」と言われたことを思い出します。
 私は、「日本共産党は、自ら名乗りを上げて立候補する人はいません。周りから推薦されて、仕事を辞めて候補者になるのが普通なんです」と理解を求めました。「そんなんではあかん!志が低いがな!議員にならんのやったら娘との結婚は許さん!」と言われ、困ってしまいました。
 結婚は認めてもらいたいが、「議員になります」と嘘はつけない…。悩んだあげく、苦し紛れに発した私のせりふは、「議員になるかどうかは分かりません。しかし、これだけはお約束できます。私は将来、お父さんがものも言えないくらい偉い人間になります!」というものでした。いま思えば、よく言えたなあと思いますが、お父さんからは、「よっしゃ!そのせりふ気に入った!娘を頼むでえ!」と結婚の許しを得たのでした。
 その後、大阪市会議員に当選した時には、妻の両親も本当に喜んでくれました。参議院の候補者になってからは親戚中にも「うちの娘婿をよろしく」と支持を広げてくれています。
 慣れないながらも、つどいでは250人の参加者を前にマイクを握って発言もしてくれたお父さん。いつもおおきに!(しみず・ただし 日本共産党大阪市会議員・参院選大阪選挙区候補)

投稿者 jcposaka : 2009年12月11日

トップページへ ひとつ前のページへ ページ最上部へ
ご意見・ご要望はこちらから