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編集長のわくわくインタビュー 株式会社せのや代表取締役社長 野杁育郎さん

2009年09月11日

「大阪みやげ」にわくわくします。 商いで大阪活性化できれば

 「なにわ名物 いちびり庵」 の屋号で大阪みやげ専門店を大阪ミナミに展開しながら、 異業種ネットワーク 「なにわ名物開発研究会」 会長としても活動している (株) せのや代表取締役、 野杁育郎さん。 ノイリンの愛称でラジオの深夜番組のパーソナリティも務め、 大阪を元気に発信し続けている野杁さんに、 「いちびり精神」 とは、 大阪の魅力とはなど聞きました。 (聞き手 佐藤圭子編集長)

   いちびり庵さんは大阪ものの商品がとにかくいっぱい並んでいて、 店内を見てるだけでわくわくしてきます。 私も数年前に買った、 くいだおれ太郎の携帯電話用ストラップ、 いまも使わせていただいています。


野杁 ありがとうございます!
 太郎ちゃんの経済効果は、 この界隈だけでも17億円と言われてますが、 いちびり庵にとっても太郎ちゃんは恩人の一人なんです。

地域活性化を見越した商売

 うちはもともと江戸時代に紙屋として創業、 明治以降は文具と紙店を長らく営んでいました。 それを私の代でバラエティー、 ファンシー雑貨に転換しました。 さらに、 以前から町づくりに関わっていたこととも絡んで、 地域の活性化と商いをうまくドッキングさせる商い、 つまり 「大阪名物・おみやげ」 の商売に変わっていったんです。
 きっかけとなったのは、 平成5 (1993) 年に、 くいだおれ太郎ちゃんのキーホルダーができて、 それが非常にお客さんに好評やったんですね。 ちまたを探しても、 当時大阪みやげが少なかったので、 それなら自分たちで作ろうということになりました。 その後 「たこ焼ききゃんでぃ」 を手始めにどんどんとオリジナル商品ができていったんです。
   野杁さんが会長を務めておられる 「なにわ名物開発研究会」 も毎年、 いろんな方や団体に、 「大阪一のいちびり」 と銘打って 「なにわ大賞」 を出しておられますが、 「いちびり」 というのは具体的にはどういう意味なんですか?
野杁 大阪弁で 「市いち振ふり」 が語源なんです。
 いまはもう株の立ち会いも電子式になっていますが、 青果市場なんかでは、 いまも身振り手振りやったはるでしょう。 そういう、 市場で値決めする様子やその人を指したのに始まって、 それが 「面白い」 という意味に転じたようです。
 つまり、 市場を取り仕切っている人。 市いちが大きくなったら町になるから、 町のリーダーシップをとっているという意味になるんですね。
  「なにわ大賞」 はことしで12回目になります。 これまでいろんなジャンルで大阪のリーダーシップを発揮している人を選んで、 延べ100人以上が受賞されてきました。

いちびりと道楽の違いとは

 その中の一人の方が、 「野杁さん、 いちびりと道楽とは違うよ」 と言われたのが印象的でした。 「どっちも似てるようなイメージがあるけど、 道楽というのは金にあかせてあほなことをするやつで、 いちびりというのは金もないのにあほなことするやつや」 とおっしゃったんですね。
 受賞される方たちを見ていると、 本業も大変やのにこんなことようやってはるな、 という人もおられます。 候補に上がってくる人は、 お互いに町衆、 市民の目線で見つけてこようという趣旨です。
 部門の中では、 ほんまに笑えるようなものも選んでますけどね。 第1回目の受賞者 「日本一低い山として知られる天保山山岳会」 のメンバーさんとか、 結構まじめにやったはるんやけど、 プッと笑えるような。
  「もーてー式」 ( 「なにわ大賞」 の受賞式) では、 選考委員長の難波利三さんが必ず、 「あんたはほんまに偉い!」 「あんたはつくづく偉い!」 と表彰状に書かれていない言葉を一言、 付け加えはるんですね。
   パーソナリティを務めておられるFM OSAKAの 「なにわルネサンス おとなの文化村」 でも、 毎回、 大阪の文化人や社長さんなどが登場されています。 母校でもある精華小学校の存続や跡地利用でも、 とことん地元にこだわって活動されていますね。
野杁 小さいころから、 江戸時代からの店の話を聞かされて育ったことや、 大学が東京やったので外から大阪を見れたのも良かったのかも。

「輝いていた大阪」 への思い

 町づくりや地域活性化の活動をしていていつも思うのは、 大阪人が大阪のこと、 自分の地域のことを知らなさすぎるんですね。 同時に知れば知るほど、 昔は良かったな、 すごかったんやなあと実感して、 もういっぺん 「輝いていた大阪」 を復活させなあかんという思いが強くなるんですね。
 最近、 特に感じるのは、 寛容の精神が足らん人が増えてきたこと。 大阪人というのは本当は人のことをおもんばかったり、 気にしいであったり、 そういうセンスにすぐれた人種であったはずなんですけど、 そんな大阪人のシャイというか気遣いのようなものが最近、 減ってきてるなあと思います。
   代々継がれてきたご商売を守り、 発展させるというのは苦労も多いと思います。
野杁 昔の店は1945年3月13日の大阪大空襲で焼けました。 空襲のことは、 小さいときからおやじやおふくろからよく聞きました。 おふくろが、 「お父さん、 店、 燃えていく!」 と御堂筋から見ていたこととか、 昭和19年生まれの姉がまだ赤ちゃんやったんで、 家からとにかくおかゆを作るための鍋を一個持ち出したと言うてましたね。
 僕自身は、 若いころはとにかく何でも自分でと思ってやってきたけど、 ことしで61歳になって、 若い世代と一緒にやって、 バトンタッチしていきたいという思いが強くなってきましたね。
 うちの会社は、 私も含めてみんな妙にお金に欲がなくて、 コンサルタントも 「おかしい」 と言うほど (笑い)、 給料増やしていい家に住みたいとか、 いい車に乗りたいとかいう欲求が非常に少ない人間が集まってるんです。

大阪の文化残すために貢献

 だけどうちは経営理念で地域貢献をうたってますから、 一生懸命もうけて莫大な利益が上がれば、 中座を買い取るとか、 OSK (OSK日本歌劇団) のスポンサー企業に立候補するとか…。 そういう文化的な貢献をしていきたいですね。 大阪の文化を残すためにお金が使えるぐらいにもうけたいです (笑)。

のいり・いくろう 1948年、 大阪市生まれ。 早稲田大学文学部卒業後、 総合雑誌 「オール関西」 に入社。 編集部次長で退社し、 実家の、 江戸時代創業の文具店を継ぐ。 ファンシー、 バラエティーと取扱商品、 業態を変え、 大阪みやげ専門店 「なにわ名物 いちびり庵」 を展開し、 現在6店舗。 異業種ネットワーク 「なにわ名物開発研究会」 会長、 精華校園跡地活性化協議会理事。 FM OSAKA 「なにわルネサンス おとなの文化村」 (日曜深夜24時) のパーソナリティとしても活躍。

投稿者 jcposaka : 2009年09月11日

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