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核兵器廃絶へ― 国民平和大行進 世界動かす

2009年07月03日

 5月6日に東京都江東区の夢の島・第五福竜丸展示館前を出発した原水爆禁止国民平和大行進 (東京〜広島コース) は、 6月30日に大阪入りしました。 これに先立つ27日、 「熊取―泉佐野網の目平和行進」 が実施され、 60人が参加。 15年前、 被爆50周年の節目を機に始まった同コース。 参加者は熊取町役場を午前10時に出発、 約7`先の終着地、 泉佐野市の春日神社を目指しました。

  「草の根の取り組みが核兵器廃絶への道を切り開く大きな力です」 と、 踏み出す一歩に力を込める義本元彦さん(73)=熊取町。 大阪高校駅伝の選手に抜擢されたこともある現役マラソンランナーです。 日本共産党町議を03年まで7期務め、 いまも平和で住み良いまちをと奮闘。「反核平和マラソンにも挑戦し続けます」

さまざまな思い

  「戦争はいやだ」 と初参加の小学3年生・田口隆太君 (8)。 母親の順子さん (36) も 「平和憲法を守り、 誰もが安心して暮らせる社会にしたいですね」 と話します。
 休暇を取って行進したのは江川拓志さん (24) と妹の明里 (20) さん=熊取町。 行進中も 「核兵器廃絶の国際交渉早期実施を」 「憲法9条を守れ」 と声を上げました。
 南海泉佐野駅を過ぎて春日商店街に差し掛かると、 店主や買い物客らが店頭に出て行進団に手を振って声援を送ります。
  「この辺りは核兵器廃絶を目指す 『六・九行動』 などが長年取り組まれてきた、 特別な思いがある地域です」 と、 新日本婦人の会泉佐野支部の貴志雅世さん(51)。 5年前に市内を歩く幹線コースがルート短縮された際も、 商店街での行進を続けようと、 網の目行進として存続しました。 「平和を願う地域の声をこれからも紡いでいきたい。 平和の大切さを次世代に伝えることは大人の義務。情勢を知れば知るほど、行動せずにはいられません」 と貴志さん。

地域で世論を

  
 国民平和大行進は、 雨の日も風の日も炎暑の中を歩き続け、 8月の広島市到着を目指し、 7日に池田市から兵庫県川西市に引き継がれます。

【原水爆禁止国民平和大行進】

 1958年6月、 東京で8月に開かれる第4回原水爆禁止世界大会を目指し、 被爆地広島から西本あつしさんがたった1人で歩き始め、 日を追うごとに行進者は増え続け、 東京入りした時には数万人の大行進に。 これ以降、 国民平和大行進実行委員会が主催。 広島・長崎で開かれる世界大会に向けて全都道府県を11の幹線コースで縦断、 大阪府内は幹線コースと16地域の 「網の目行進」で、 43市町村すべてを通ります。

核兵器廃絶へ私も
音楽と学習を力に
池田市・難波千里さん

 池田市在住の元小学校教員・難波千里さん (65) は、 アマチュア音楽家でつくる市民オーケストラに参加する傍ら、 友人2人と 「アンサンブル池田」 を結成し、 府内各地で演奏活動を続け、 平和のメッセージを発信しています。
 3年前まで公立小学校の音楽教員として勤務していました。
 旧日本海軍パイロットだった父親は、 敗戦後は人殺しのために飛行機に乗らないと誘いのあった自衛隊入りを拒否。 そんな姿に影響を受け、 現場教員の時から平和教育に情熱を注いできました。
 2年前、 イタリア5都市で 「ノーモア・ヒロシマ・ナガサキ」 をテーマに、 シンポジウムや原爆写真展が開かれ、 これに参加した体験を基に、 新日本婦人の会池田支部で平和小組を結成し、 毎月1回、 平和学習などを進めています。
  「地域で核兵器のない世界を署名を大いに進め、 音楽を通じて核兵器廃絶の声を広げていきたいですね」


(大阪民主新報 掲載記事)

投稿者 jcposaka : 2009年07月03日

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