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編集長のわくわくインタビュー リスナー同士がつながるんですね 声だけで思いを共有でき 毎日放送アナウンサー 水野晶子さん

2009年04月23日

水野晶子さん 毎年、 放送界で活躍する女性に贈られる放送ウーマン賞 (日本女性放送者懇談会) を受賞した毎日放送アナウンサーの水野晶子さん。 テレビの報道番組の女性メーンキャスターの草分けとして活躍し、 現在もラジオ番組のメーンパーソナリティーを務める水野さんに、 受賞への思いやラジオの魅力などを聞きました。 (聞き手=佐藤圭子編集長)

 2008年度放送ウーマン賞受賞、 おめでとうございます。 過去に女優の黒柳徹子さんや脚本家の橋田寿賀子さんなども受賞されたそうですね。

ラジオで頑張る人にエール

水野 ありがたいですね。 今回の賞は、 昨年放送した、 「おれは闘う老人 (じじい) となる〜93歳元兵士の証言」 ドキュメンタリーで担当したナレーションと、 2つの番組 (「しあわせの五・七・五」 「MBSニュースレーダー」) の活動にいただいたようです。
 リスナーの皆さんから 「おめでとう」 と手紙やメール、 ファクスをたくさんいただき、 お花をわざわざ会社にまで届けてくださる方や、 「夫婦で水野ちゃんのことを乾杯してました」 とか、 親せきや近しい友達が何かした時のように喜んでくださって。
 それと、 どちらかというとテレビ関係の人に贈られることが多い賞だそうですが、 ラジオで頑張っている人たちへのエールの意味もあったようです。 本当にうれしいことです。
   ラジオの魅力ってどんなところにありますか?
水野 まず私たちパーソナリティーとリスナーとの関係が、 テレビのように1対マス (多数) ではなく1対1でつながっていること。 そしてリスナーがお互いにつながっていくというのも、 ラジオならではだと思います。
 たとえばいまやっている 「しあわせの五・七・五」 では、 皆さんから寄せられた健康川柳を紹介してるんですが、 作者のお宅におじゃまして、 一句の背景を探るという試みをしています。

リスナーの思いに寄り添う

 ある日、 「悩んでも悩まなくても朝はくる」 という句を送ってくださった方がいました。 インタビューしに行ったら、 40歳ぐらいのサラリーマンでした。 機械のメンテナンスの仕事をやっていたけど、 24時間いつ呼び出されるか分からない中で眠れなくなり、 営業職に変わられました。 すると休みはあるけれどノルマノルマで上司からのパワハラもある。 うつになって眠れなくなり、 ベッドから起き上がれなくなった時、 たまたまラジオをつけたら私の番組をやっていたんだそうです。
 健康川柳か。 やったことないけど自分のいまの思いを五七五にしてみようと初めて川柳を作られた。 それを番組で紹介するとすごい反響で、 感動した方が、 「どうしてもこの句を作った人にお礼が言いたい」 とお手紙を書いてこられました。
 その方は看護師だった娘さんを過労で亡くされた上にご主人も倒れられて、 夜も眠れなかった時にたまたまラジオからその句が流れてきた。 そうか。 朝はくるんだと思ったら、 真っ暗だった目の前が明るくなって久しぶりに眠れ、 元気を取り戻していったと書いておられました。
 そしてその手紙を作者に届けると、 今度はその男性が、 無用の存在だと思っていた自分が誰かの役に立てたと元気になっていかれたんですね。
 このほかにも、 誰かが入院したと話すと心配する声や、 「○○さんのお店が危ない」 と言うと 「店行って来た」 というお便りがきたり。
   リスナー同士のつながりや連帯にまで発展していくなんて、 すごいですね。
水野 ラジオは、 お話を聞かせてもらうだけで、 その人の心や人生観を伝えられるんですね。 映像を見て自分と人との違いに目がいきがちなテレビとは違い、 ラジオは共有できる方向に気持ちが向きやすい。 だから共感の輪も広がりやすいと思うんです。

布施明を番組に呼びたい!

   アナウンサーの道を目指されたきっかけは?
水野 中学時代から布施明さんの大ファンで、 どのファンよりも近づける方法はと思ってテレビを見ていたら、 アナウンサーでした (笑い)。 だけどテレビに出るのは恥ずかしいから、 ラジオの音楽DJになって、 その番組に布施さんをゲストに呼ぼうという、 ものすごく具体的な夢でした。 ところがアナウンサーになって、 いざご本人に会うと決まったら、 興奮しておなか下すわ、 熱は出すわで大変でした (笑い)。
   いまでこそテレビのニュース番組で女性のメーンキャスターは少なくありませんが、 水野さんはその草分けですよね。
水野 私が入ったころは、 女性がテレビに顔を出して政治経済などのニュースを読むというのはなく、 お天気や季節の話題を伝えるぐらいでした。 それが何年かして、 やっと女の人も政治経済などトップニュースを伝えられるようになっていきました。

メーン確立した先輩の苦労

 入社後間もなく、 ラジオの偉い人が私に、 将来どうなりたいかと尋ねてくださった時、 大阪弁でしゃべれる番組のメーンパーソナリティーをやってみたいと話すと、 「それは無理や。 女性やからアシスタントの女王を目指しなさい」 と言われました。 男の人がメーンで、 女性がいつもアシスタントという価値観はいずれ崩れるのではと思っていたし、 時代が味方してくれるようになったんですね。
 私が尊敬する大先輩の坂本登志子さんが入られた民放黎明 (れいめい) 期は、 女性の声は信頼性や信ぴょう性が薄れるからとニュースを読むことはなかったそうです。 そんな中でみんなで頑張って、 女性として初めてニュースを読まれたのが坂本さんたちでした。 こういう先輩の苦労の上に私たちがあるんですね。
   番組では、 やわらかい大阪弁で語りかけながら、 言いたいことはスパッと言う反骨精神も伝わってきます。
水野 もっと鋭くありたいといつも思っているんですが。 私の名前は、 与謝野晶子が好きな母が、 晶子の 『君死にたもうことなかれ』 のように、 言わなきゃいけないと思ったら、 ちゃんと物が言える女性になってほしいという思いで付けた名前らしいです。
 私が担当している時間についてはスタッフでいつも話をして、 リスナーの立場に立って考えて、 おかしいやん、 何でなんですかと聞いていくことを大事にしています。 「水野がしゃべってる。 だからきっとリスナーの物の見方でしゃべってくれてるはずや」 とか、 もしその思いとかい離してたら、 「水野ちゃんそれはちゃうで」 とリスナーが教えてくれると信じてるんです。

20代の目標に近づいている

 20代の時、 どんな番組をつくりたいかと聞かれて、 「楽しい広場で、 そこにみんなが声を届けて情報や思いを共有して帰っていくような番組」 と答えたんですが、 気が付くとそこに近づいていました。 これからもラジオを聴いてくださる一人一人の生活を想像しながら話し、 皆さんとつくる輪のひとすみに私もいて、 思いを共有し合い、 そして明日へのエネルギーにもなるような番組をつくっていきたと思います。

みずの・あきこ 1958年、 滋賀県草津市出身。 神戸市外国語大学卒業後、 81年、 毎日放送入社。 ラジオの情報番組のアシスタントキャスター、 メーンパーソナリティーとして人気を得、 テレビのニュース番組では女性のメーンキャスターの草分けとして活躍。 第43回ギャラクシー賞ラジオ部門でDJパーソナリティ賞を受賞。 現在、 「しあわせの五・七・五」 「MBSニュースレーダー」 のメーンパーソナリティー。 毎日文化センター 「水野晶子のシネマトーク」 (隔週水曜夜) の講師としても活動。

投稿者 jcposaka : 2009年04月23日

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