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終戦63年 不戦の誓い新たに

2008年08月21日

 アジア太平洋戦争が終わって63回目の夏、 各地で 「二度と戦争を繰り返さない」 「平和のバトンを受け継ごう」 と、 恒例の赤紙 (召集令状) 宣伝、 京橋空襲慰霊祭、 戦争展などが行われました。

「赤紙」配り「9条守れ」
母親大会連絡会が終戦の日に

 太平洋戦争が終わって63年目の15日、 大阪母親大会連絡会 (植田晃子委員長) は、 大阪市中央区の難波・高島屋前で 「赤紙」 (臨時召集令状) の複製を印刷したチラシを配布し、 「憲法9条を守る世論を広げよう」 と訴え、 「憲法9条を守る署名」 を呼び掛けました。

 これには同連絡会に参加する女性団体から100人余が参加。 代表が次々マイクを握り、 「2度と戦争に夫や息子を取られたくない思いを家族で話し合って」 (新婦人の会) 「戦争は最大の環境破壊。 地球規模で戦争をとらえ、 国際貢献として9条を広げよう」 (大阪労連女性部) 「戦後63年間、 徴兵検査もなく、 赤紙が配達されることもなく、 外国人を殺すことも、 殺されることもなく過ごすことができたのは憲法9条があったからこそ」 (戦没者平和遺族の会) などと訴えました。  宣伝行動には日本共産党の山本陽子府議も参加し、 訴えました。   「赤紙」 宣伝は、 府内各地でも行われました。

戦争の悲惨さ語りつごう
京橋駅空襲慰霊祭

 第54回京橋駅空襲被災者慰霊祭が14日、 JR西日本・京橋駅南口で行われ、 生存者や遺族、 地元の小学生ら約250人が参列しました。  終戦の前日の1945年8月14日、 現在の大阪城公園にあった大阪砲兵工廠に対し、 米軍のB29による爆撃が行われました。 当時の同公園周辺は、 日本の主要な砲弾製造地でした。 爆撃は京橋駅も巻き込み、 犠牲者は500人とも600人とも言われています。

 慰霊祭には日本共産党の宮本たけし衆院近畿比例候補も参列。 空襲の生存者らが、 不戦の誓いを新たにし、 戦争の悲惨さを語り継ぐ決意を語りました。  京橋駅では大阪母親大会連絡会による改憲反対の宣伝も行われました。 参列後に駆け付けた宮本候補もマイクを握り、 「戦争は最大の人権侵害です。 日本を再び戦争する国にしないため、 憲法9条を守りましょう」 と訴えました。

「犠牲になるのは子ども」
堺平和のための戦争展

 かがやかそう憲法9条 こどもたちと平和のバトンをうけつごう!と、 堺平和のための戦争展が16、 17の両日、 大阪健康福祉短期大学などで開かれ、 2日間で1200人が参加しました。 市内の平和・市民団体などが実行委員会をつくり、 4年前から開いてきたもの。

 大学ホールでは、 市民の従軍看護婦体験を基にした手作り大型紙芝居、 「君死にたもうことなかれ」 などの合唱、 講演のほか、 沖縄の平和ガイドや、 韓国全国歴史教育者らを招いての沖縄戦と基地問題の報告、 日韓平和交流などが行われました。 「Peace♪Live」 では、 地元の泉陽高校軽音楽部や弦楽部の演奏や憲法落語、 ジャズダンスなどが披露されました。  各教室でも、 堺大空襲の戦災地図や戦争遺跡の写真、 焼夷弾の実物展示や、 戦没者遺族や大空襲、 勤労動員体験者を囲んでの懇談会、 戦時食の試食会などが行われました。  展示では、 チラシを見て親子4人で参加した女性が、 出征兵士の武運長久を願い集団署名した日の丸に実父の署名を見つけ驚く場面も。 親子3人で参加したNさん (50) =堺市在住=は、 「展示物を見て、 子どもが 『何で?何で?』 を連発していました。 大人のつじつま合わせで犠牲になるのは子どもたち。 このように自分たちのできることで平和を発信していくことが大切ですね」 と話していました。

猛暑の中、「9の日を歩こう」
9の日パレード市民の会

 ビルの電光掲示板の温度表示が38度を示す猛暑となった9日、 「憲法9条を守れ」 と32回目の 「9の日パレード」 が行われ、 市民ら50人が大阪市北区の中之島公園女神像前から大阪駅前第2ビル前までパレード。 「憲法9条に沿った日本を」 「憲法違反の自衛隊海外派兵恒久化法案の阻止を」 などをアピールしました。

 出発集会では 「9の日パレード市民の会」 の辻公雄弁護士、 大阪平和委員会の橋本敦会長・弁護士、 イラク派兵差し止め裁判元原告の田中洋子さんがあいさつ。 「きょう9日は長崎原爆忌の特別な日。 8万人近い市民が露と消えた無念の日。 多くの国民の尊い命を礎に9条がある」 (橋本会長) などと語り、 「9の日を歩こう」 と呼び掛けました。

投稿者 jcposaka : 2008年08月21日

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