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編集長のわくわくインタビュー 中国古筝こそう演奏家・作曲家 伍芳さん 今年はグローバル・ピースコンサートにも

2008年07月25日

音楽はみんなの心を一つにしてくれます

 90年に初めて来日し、 中国の伝統楽器、 古筝の演奏家としてソロ活動やさまざまなアーティストとの共演、 楽曲提供など全国各地で音楽活動を展開してきた伍芳さんが、 ことしはグローバル・ピースコンサートin OSAKA'08 (8月9日、 いずみホール) に初出演します。 19日、 西宮市での公演後、 楽屋を訪ね、 日本との出会い、 音楽や平和への思いなど聞きました。 (聞き手 佐藤圭子編集長)
   きょうは、 ソロ演奏に、 水墨画の冬 (ミー・トンイン) さんとのライブパフォーマンスにとたっぷり楽しませていただきました。 冬さんも、 「伍芳さんの演奏を聴いていて、 最初考えていた構図とは全然違うものになった」 とおっしゃってましたね。
伍芳 水墨画との共演は初めての体験で、 知らない世界でした。 冬さんの動きを探りながら即興演奏してたんですが、 もう描き終ったと思ったら、 また続いて (笑い)。 だけど、 絵と音楽って、 形のあるものとないものという違いはあるけれど、 腰に重心を置いたり足元に芯を持つなど、 呼吸も、 一筆ですっと書くところや、 一つの呼吸でメロディーを奏でるところとか、 共通する部分がたくさんあるんですね。 とても勉強になります。
   中国の古筝こそうは日本のお筝こととどう違うんですか。
伍芳 筝はもともと中国の楽器で、 奈良時代に唐から日本に伝わりました。 中国では時代の流れによって形が変化してきましたが、 日本ではわりと伝統を守り、 形もあまり変わっていません。 中国の古筝は弦の素材がスチールで外がナイロン、 爪はべっ甲製。 両手に付ける人もいますが、 私は右手だけ付け、 左手は素手で弾いています。 日本の弦は絹、 爪は象牙ですね。 音階は中国も日本も同じ五音階ですが、 音と音の距離が異なります。
   お筝を始められたのは?

箏の音色に鳥肌立った

伍芳 9歳の時、 叔母の勧めで始めました。 父が音楽好きで、 それまでピアノやヴァイオリンもやったんですが、 まったく興味を持ちませんでした。 ところが初めてお筝を自分で弾いてポロポロと音が出た時、 その音色に鳥肌が立ったんです。
   京都におられたお姉さまに会いに来られたのが、 日本との出会いだったそうですね。
伍芳 高校1年の夏休みでした。 姉が京都大学に留学していたので、 両親と3人で1カ月遊びに。 毎日、 お筝の練習をしたかったし、 何か交流の場でもあるかなと思って、 日本に担いで来たんです。
   あんなに重い物をですか?
伍芳 ええ。 船だったので大きい物でもいけると聞いていて。 そしたら早速船の中で、 「それ何?」 「弾いてみて」 と言われて、 弾きたがりやなのでつい調子に乗って (笑い)。
 京都に着いてからも、 姉の知人がミニコンサートを開いてくださり、 日本のお筝の先生や生徒さんたちの前で演奏しました。 私は当然のように弾いていたんですが、 「中国にもお筝があるの?」 と質問されたりして、 日本で中国の筝が知られていないというギャップにまず驚きました。 それと、 学校では、 先生に厳しいことしか言われないのに、 日本では皆さん拍手して喜んでくださって、 それがとてもうれしくて楽しくて。 「面白い子がいるから」 とテレビの取材までありました。
   それでいったん帰国されて、 再び日本へ。

大震災で亡くなった姉

伍芳 日本での1カ月は想像以上に楽しかったし、 日本のお筝の先生も、 帰ってまた演奏にいらっしゃいと言ってくださって。 私自身も中国の古筝を知ってもらいたいという思いもあったので、 高校卒業後、 90年にまた来て、 1年半、 日本語を学んだ後、 立命館大学に入学しました。 在学中から学校のイベントやボランティアで弾いていましたが、 本格的に始めたのは卒業後の96年でした。
   阪神淡路大震災の翌年ですね。 お姉さまは震災でお亡くなりになったと聞いています。
伍芳 当時、 姉は丸紅で働いていて、 2人で西宮に住んでいました。 私は不在していまして、 帰ってみると町中の建物がぺしゃんこになって、 2階建てだった私たちの家もなくなっていた。 当時姉は27歳。 早すぎた死でした。

音楽は心で響きあう 

 姉がいたころは、 音楽って何だろうということを考えたこともありませんでした。 ただ学校で教わったことを忘れず上手に弾けばいいと思っていました。 だけど大切な姉を失って初めて、 人には言えない悲しみ、 言葉や譜面で表現しきれないものが音楽で表現できるのではないか、 自己表現ということを考えるようになりました。
 そしてある日、 六甲山から神戸の夜景を眺めていると、 一本の虹のような橋が目に浮かび、 それが故郷の両親や中国の大地、 いつも私を見守り励ましてくれた姉の所に通じているように感じたんです。 天から降ってくるようにメロディーが浮かんできて曲ができました。
   それが 「彩虹橋」 ですね。 切なさの中にも荘厳で力強さを感じる作品です。
伍芳 本来、 音楽というのは機械で測れるものではなく、 見えないものや感じるものを大切にするものだということが、 この曲を通して分かったような気がしました。 音楽は心で響きあうもの。
 考えてみると、 日本に来て言葉も話せなかった私が、 演奏することで友達もいっぱい増えたし、 私にとって音楽は1つのコミュニケーションであり、 その瞬間を人と一緒に体験して共感できる大切な交流でもあった。 そんな風に考えるようになって、 人生、 いろんなものを背負いながら、 音楽とともに成長していけたらと思うようになったんです。
   今度、 初めて出演される大阪のグローバル・ピースコンサートでも 「彩虹橋」 を演奏されるそうですね。

古筝のオーケストラで

伍芳 ええ。 やっぱりこの曲は一番思い出深い曲なので。 このほかには、 夏によく演奏するオリジナルの 「水節」 と、 私の師、 王昌元先生の曲で、 私が大好きな 「戦台風」 を弾きます。
 平和は本当に大切。 きのうも、 南こうせつさんと一緒のステージでしたが、 こうせつさんは日本のフォークソングで、 私はチャイニーズで、 まったく違う世界。 国同士でいいこともあれば悪いこともある。 でも音楽はそれをすべて忘れさせてくれて、 みんな一つの心になって友好関係が生まれる。 そこが素晴らしいと思います。
 私は演奏している時が一番楽しいんです。 夢は世界中の人たちに古筝を知ってもらうこと。 長旅になっても、 ゆっくりと一つ一つはんこを押していくように国を回り、 私の演奏を聴いてもらって中国を好きになってもらえたら。
 それから、 いま、 自分の家で古筝を教えているんですが、 いつか、 生徒さんたちと古筝オーケストラをつくって、 私の曲をみんなで演奏してみたい。 古筝でこんなことができるんだということを皆さんに知ってもらうこと。 それが夢ですね。

 グローバル・ピースコンサートOSAKA
 8月9日 (土) 午後5時開演、 いずみホール。 伍芳さんの古筝演奏のほか、 ヴェルディの歌劇 「椿姫」 ハイライト、 外山雄三の混声合唱のための 「よびかけ」 より 『戦死やあわれ』 など。 4千円、 3千円。 06・6362・3128音楽ユニオン関西。
 中国古筝奏者伍芳と行くオールド上海の旅 
 11月22日 (土) 〜25日 (火)  上海の名所のほか、 伍芳さんが古筝を学んだ上海音楽学校などを訪れ、 最終日には、 伍芳コンサート。 費用14万9800円。 06・6262・1966中青旅 (株) 。

 ウー・ファン 中国・上海生まれ。 9歳から中国古筝の第一人者、 王昌元氏に師事。 1990年上海音楽学校を首席で卒業後、 来日。 立命館大学を卒業後、 本格的に演奏活動を開始、 日本における中国楽器ブームの先駆けとなる。 数々のアーティストと共演のほか、 朗読とのコラボレーション、 狂言、 人形浄瑠璃文楽との共演、 映画音楽、 アーティストへの楽曲提供など作曲活動も展開。 07年4月から神戸市看護大学非常勤講師。 現在までにCDアルバム9枚発売。 ホームページ・アドレス=http.//www.moz.co.jp/wu-fang/

投稿者 jcposaka : 2008年07月25日

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