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薬害肝炎 初の原告勝利和解 真相解明 問われる企業責任

2008年02月07日

肝炎患者の治療体制確立を
次世代に薬害のない社会を

 汚染された血液製剤の投与でC型肝炎に感染したとして、 238人の患者が国と製薬会社に損害賠償を求めて全国5カ所で起こしていた薬害肝炎集団訴訟で、 原告と国の初めての和解が4日午後、 大阪高裁と福岡高裁で成立しました。 和解内容は、 1月11日の被害者救済法案成立を受け、 双方が締結した 「基本合意」 を踏まえたもので、 国は原告28人全員について血液製剤投与による感染を認め、 原告は症状に応じた給付金を受け取ることになりました。 18日には大阪地裁でも和解が成立する見通し。 今後は企業との和解、 全国350万人といわれているウイルス性肝炎患者救済、 薬害が起きた経過の検証、 再発防止などが焦点となります。

  「薬害肝炎訴訟の終わりは、 私たちの活動の終わりではありません。 私たちの目標は、 すべてのウィルス性肝炎患者の治療体制の確立と薬害の根絶です。 きょうの和解を新たな出発点にして、 すべての肝炎患者のための治療体制の確立と、 未来の子どもたちのための薬害のない社会を目指して、 引き続き活動を続けていくことを約束いたします」   「薬害で苦しむ人は私で最後にしてほしい。 薬害を次の世代に引き継がないように、 そして肝炎患者が安心して暮らせる社会を目指して、 これからもたたかい続けます」  4日午後3時、 支援者らでいっぱいになった大阪高裁202号法廷。 国との和解案調印を前に行われた最後の口頭陳述で、 大阪訴訟原告団共同代表の武田せい子さん (56) と桑田智子さん (48) の声が響きました。

信念あれば国の壁も崩せる  

 2002年10月21日の大阪地裁提訴から5年3カ月余。 06年の地裁判決以降、 病気の体を押して、 全国の原告と共に国会での議員回り、 街頭での署名活動、 厚生労働省前での座り込み、 官邸要請行動など繰り広げ、 「命の線引き」 をせず全員一律救済を求めてきた大阪の原告たち。
 和解成立後、 大阪司法記者クラブで行われた記者会見で武田さんは、 「国に対して、 大きな壁に向かってたたかうことが、 いかに大変かよく分かりましたが、 自分の信念があればそれも崩すことができるということが、 大きな糧になりました。 何回もくじけそうになったけれど、 みんなの 『頑張ろう』 という合言葉で今までやってこれました。 これからは350万人といわれる肝炎患者救済のために第二のたたかいとして頑張りたい」。

国と企業は過ちを繰り返すな 

 桑田さんは、 「原告の中には、 私と同じ病院で同じ時期に出産した人が、 肝硬変に進んでいる。 和解によって肝炎の進行が止まるわけではないので、 これ以上命が奪われる人がないように国と企業は命を救うために全力をあげてほしい」 と訴えました。
 山西美明弁護士は、 「電話相談にはカルテがないがという相談が毎日たくさん寄せられています。 国と企業は、 本来救済されるべきであるのに救済されない被害者がたくさんいるという事態を真摯に受け止め、 謝罪と反省をし、 今後の治療体制の確立のために全力を尽くすべき」 と語りました。
 大阪市北区の大阪市中央公会堂で開かれた報告集会には、 130人以上の支援者らが参加。 これまでの活動を振り返り、 原告と和解成立を喜び合いました。

原告と喜び分かち合う青年たち

 支援の輪には、 いつも多くの青年の姿がありました。 裁判傍聴、 ビラ配り、 署名など原告らと行動を共にし、 この日は翌日試験を控えた学生たちも朝8時半からの淀屋橋での宣伝に参加しました。
 2年前から支援活動に参加している 「薬害肝炎訴訟を支える大阪学生の会」 代表の平山響さん (21) =京都大学2回生=は、 「この日を待ち望んでいました。 まるで家族がたたかいを勝ち取ったような気持ち。 ぼくが代表の時にこんな結果が出て本当にうれしいです」 と話していました。

投稿者 jcposaka : 2008年02月07日

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