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編集長のわくわくインタビュー C型肝炎訴訟大阪原告団代表・桑田 智子さん

2008年02月01日

国に責任を認めさせましたね
あきらめず団結したからこそ

 参院本会議で法案が通った時の映像、 テレビで何度も拝見しました。 本当にうれしい瞬間でした。

今までの苦労が報われた

桑田 ちょうどあの日、 私の誕生日だったんです。 4度目の子年の。 今までの苦労が報われた瞬間でした。 それまで期待と落胆の連続でしたから。 特に、 国や製薬会社の責任を認めた2006年の大阪地裁判決以降は、 期待しては裏切られて。


 それでも世論の後押しで全会一致につながりました。 昨年、 血液製剤フィブリノゲンによって、 C型肝炎に感染した疑いの強い418人のリストが発覚して以降、 注目が集まり、 街頭でマイクで訴えていたら、 「頑張れよ」とか 「応援してるよ」 などの掛け声もかかるようになって、 署名も行列ができるほどでした。

万歩計が一日に2万歩を超え 

 寒い中、 首相官邸や厚生労働省前での座り込み、 連日の記者会見など、 病気をおしての活動、 本当に大変だったと思います。
桑田 国会に対しては、 一人ひとりの議員さんを説得する国会ローラーを、 何度となく繰り返しました。 衆議院と参議院の間を走って行ったり来たりするだけでもすごい距離。 エレベーターに乗るのは面倒だからと階段を上り下りして、 山口美智子さん (全国原告団代表) が着けている万歩計では、 1日で2万歩を超えていると聞いて驚いたほどです。
    「命の線引きはしてはならない」 とあくまでも全員一律救済を求め、 国の責任を認めさせる立場で一歩も譲らなかった原告の皆さんの姿に胸打たれました。
桑田 被害者はそれぞれの人生がありますが、 同じ苦しみを抱えている者が同じように救われるのは当然と思っていたし、 私たちの被害はほとんどが出産の時のものなので、 生まれてきた子どもたちも苦しんでいる。

生まれた子どもも救われない 

 そこでもし切り捨てられる人がいたら、 母を病気にしたと出生を負い目に思っている子どもたちも救われない。 絶対それはあってはならないと団結していました。 そのためには全員一律救済と国の責任を認めさせることは一歩も譲れないことでした。
   大阪で薬害肝炎訴訟が起こされたのは2002年秋。 桑田さんが原告になられたのはその一年後ですね。
桑田 私が肝炎を発症したのは2002年の春、 40歳の時でした。 子育ても一段落して、 これからいろんな活動をやっていこうと思った矢先のことです。
 一度肝炎を発症させたら、 肝硬変、 肝臓がんになってしまうと知り、 治したいという思いで治療を受けるんですが副作用が強く、 高い治療費でつらい治療を受け続けても治らない。 家族に迷惑をかけるだけの存在になったと思えて、 死んだ方がましだと思いました。
 でも原因を知りたくて、 一人目の子を生んだ時に止血剤が使われたのを知り、 当時の医療機関にカルテの開示を求めると、 1年以上かかって開示されてフィブリノゲン製剤が使われていたことが分かったんです。
   それで提訴に踏み切られ、 原告として初めて実名を公表されたんですね。

息子の言葉に励まされて   

桑田 ええ。 薬害は製薬会社のもうけ優先、 人命軽視によって起きたもので、 自分に非はないのだから名前を隠す必要がないと思いました。
 息子は 「お母さんがやりたいようにやったらいい」 と言ってくれて、 彼が通う高校からも呼ばれて講演に行ったこともあります。 法案が通った後、 国と基本合意の締結をしたことを報告した時、 「これでひと段落やで」 と話すと、 「よかったやん。 でもお母さんの病気が治るわけではないから」 と言っていました。
   今後は、 全員救済の具体化と企業の責任追及ですね。
桑田 法案は成立しましたが、 この法律で救われる人は1千人程度と言われています。

治療体制確立と企業責任を問う

 町を歩いていても、 「C型肝炎ですがどうしたらいいですか」 「カルテがないけれど」 とかすぐ声を掛けられます。 国と原告団との基本合意の中には、 定期協議をしていくことや再発防止の真相究明、 恒久対策などがあるので、 これからも350万人の肝炎患者の治療体制確立を求めて取り組んでいきたいと思います。
 また、 フィブリノゲンを販売していた 「ミドリ十字」 (現田辺三菱製薬) は、 中国で日本軍が人体実験を行った731部隊の関係者・内藤良一がつくった企業で、 薬害エイズでも問題になりました。 薬害肝炎問題は戦争犯罪にもつながっています。 企業の責任も徹底的に問われなければなりません。
   これからは桑田さんご自身、 どんな活動を?
桑田 いろんな所に行って、 この問題を伝えていきたいですね。 医療従事者、 学生や子どもたちを加害者にも被害者にもしないよう、 当事者としてできること、 当事者でなければできないことをやっていきたいと思います。 そして、 あきらめずに頑張ることの大切さを知らせていけたらと思います。

くわた・さとこさん 1960年生まれ。 薬害C型肝炎訴訟大阪原告団代表。 02年、 C型肝炎を発症。 自ら医療機関に開示を求め、 第一子出産時の出血に止血剤としてフィブリノゲン製剤が使われたことをつきとめ、 03年11月、 大阪訴訟で13番目、 初めて実名を公表した原告となる。 大学や高校などでの薬害肝炎問題の講演にも取り組む。 岸和田市在住。

投稿者 jcposaka : 2008年02月01日

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