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編集長のわくわくインタビュー ベトナム戦争被害者グエン・ドクさん

2007年09月06日

将来はどんなことを?
障害ある人の仕事作りが夢
けんかもしないラブラブ生活 

ご結婚おめでとうございます。 新婚生活はいかがですか? ドク とても幸せです。 テュエン とても幸せです。    けんかされることは…。 (二人口をそろえて) 全然、 ないです。    ラブラブですねー (笑い)。 お二人はどこで出会われたんですか? ドク ホーチミン市の赤十字のボランティア活動で一緒になって。    お互い、 相手のどんな所にひかれたんですか? テュエン ドクはとても親切で友達思い。 いつも人々を手伝ってあげる人なんです。 仕事面でも勤勉でちゃんとルールを守るところが好き。 ドク 彼女は、 車いすに乗っている人や僕のように体に問題のある人間にも共感し、 温かい心をもってくれる女性です。 こんな人を探せたのは幸せです。    素晴らしい出会いをされたんですね。 はじめお二人の結婚には、 テュエンさんのお母様がずいぶん反対されたと聞きました。 テュエン でも説得しました。 ドクを家に連れて行って、 壊れたものを修理してもらったり、 きょうだいに勉強を教えてもらったりして、 先天性の病気を持っているけれども、 普通に家事もできることなどを証明すると、 母も納得してくれました。

たくさんの問題にぶつかっても

   枯葉剤の影響は何代にもわたって続くとも言われていますが、 先日、 出演された24時間テレビでも、 「生まれてくる子に障害があっても立派に育てたい」 とおっしゃっていたのが、 印象敵でした。
ドク 僕たちは、 ホーチミン市のツーズー病院の中にある平和村で育ちました。 ここでは枯葉剤の被害を受けた子どもたちがたくさん過ごしていてます。
 僕自身も今、 ここで勤めていますが、 最初は子どもたちを育てる中でたくさんの問題にぶつかりました。
 しかし仕事に慣れてくると、 自分の子どもが障害を持って生まれてきても大丈夫だと思えるようになりました。 今はむしろ、 自分の子どもを育てられるのは幸せなことで、 大事にしていかなければならないと思っています。
   日本に来られたのは何度目ですか?
ドク 19回目です。 何回も来ていますが、 日本人や日本の文化からたくさんのことを学びました。
 その中でも一番好きなのは、 日本人の働き方です。 計画性があるとか、 ルールをちゃんと守るとか、 時間に遅れないとか。 そういうことを自分の仕事にも採用しています。
   ベトナム戦争 (1960―1975) では日本でも多くの人が戦争に反対し、 ベトちゃんとドクちゃんの存在が知らされてからは、 支援運動も大きく広がりました。

お互いに平和の価値を尊重する

ドク ベトナム戦争と日本の戦争は異なりますが、 日本にも長崎と広島に原爆が落とされました。 日本人たちはその残酷さ、 大変さを分かっています。 お互いに、 平和の価値を尊重するという点では同じですね。
   ベトちゃんが急性脳症になり、 分離手術を受けられたのが7歳の時でしたね。
ドク 手術される前はいつでもどこでも二人一緒で、 いつも話すことができました。 うれしかったけれど、 不便なこともありました。 例えば、 別のところに行きたくても行けなかった。
 手術後は行きたい所に行けるようになったのはよかったけれど、 一緒でないのはやはりさみしかったですね。
 あとでベトのほうが病気になり、 今は寝たきりになってしまったし。 時間のある時にはよく会いに行きますが。
   ベトちゃんとドクちゃんのように結合双生児として生まれてきたのは、 これまで12組で、 そのうち生存されているのはお二人だけだと聞きました。
  ドクさんは、 平和村の子どもたちにどんなメッセージを送ってらっしゃいますか?
ドク 僕たちのように先天奇形で生まれてくる確率は、 ベトナム戦争以降とても高くなっています。
 子どもたちに共通しているのは孤独、 さびしさです。 社会も無関心で、 将来への不安も大きい。 そんな中で、 少しでも社会が関心をもってくれるように、 多くの人に彼らを手伝ってもらったりしています。

いまだに謝罪しないアメリカ 

   イラク戦争が泥沼化している状態を見ていると、 ベトナム戦争を思い出します。
ドク 戦争では多くの人が亡くなり、 資産も破壊され、 ニューベイビーや子ども、 お母さんも死亡してしまう。 残酷で本当に残念なことです。
 ベトナム戦争についてアメリカはいまだに謝罪をしていません。 だけど、 国内では当時、 戦争反対の運動をした人がいたし、 今もいる。 問題は、 アメリカ政府によって戦争が起きたということです。
 私が一番希望しているのは、 世界中が平和になるということです。 平和があるおかげで、 豊かな国は貧しい国を手伝ってくれるし、 貧しい国の国民も戦争被害の事実を学ぶことができるんです。
   将来はどんなことをしていきたいですか?
ドク 枯葉剤の被害者など障害者に何か役に立つことをしたい。 たとえば、 彼らも働ける旅行会社を作って、 彼らに仕事をつくりたいです。 そんなことをして生きるのが僕にとって一番の幸せです。

 グエン・ドクさん ベトナム中部高原ザライ・コントム省出身。 ベトナム戦争中に米軍がまいた枯葉剤の影響で、 兄のベトさんと上半身が二つ、 下半身が一つの結合双生児として、 1981年に生まれる。 88年、 ベトさんが意識不明の重体となり、 分離手術。 分離後、 障害児学校などを経て、 職業学校でコンピュータプログラミングを学び、 ホーチミン市ツーズー病院の事務員に。 昨年12月、 ボランティア活動を通して出会ったグエン・テュエンさんと結婚。

投稿者 jcposaka : 2007年09月06日

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