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宮本顕治さんの思い出。元参議院議員 橋本 敦

2007年08月09日

 さる七月一八日、 参議院選挙の最中に、 深く敬愛する宮本顕治元議長のご逝去の知らせに接し、 深い悲しみにとらわれました。
 この選挙戦の中で志位和夫委員長が、 「宮本顕治さんは暗黒の時代に戦争反対を貫き、 反戦によって日本人の名誉を救った」 との評論家加藤周一さんの談話を紹介し、 「この偉大な大先輩の訃報に接し、 憲法九条という世界に誇る宝を無傷で子や孫に引き渡していくのは私たちの責任だと強く肝に銘じた」 と力強く演説された記事を私も同じ思いで読みました。
 私は、 一九七四年に参議院に送って頂き、 そのあと一九七七年に宮本元議長が参議院議員に当選され、 はからずも私と同じ法務委員会に所属されることになって、 思いもかけず 「偉大な大先輩」 に親しくその謦咳に触れ、 直接ご指導を仰ぐ機会に恵まれたとは何とうれしかったことでしょう。
 その宮本元議長の思い出で忘れることのできない事件は、 宮本元議長に対する 「議員資格争訟」 をめぐる反共攻撃とのたたかいでした。
 明治憲法の復元、 自衛隊の国軍化などを唱える自民党内の極右集団・青嵐会の玉置和郎議員は、 こともあろうに宮本元議長の参議院議員の資格剥奪を狙って、 一九七九年三月、 「議員の資格争訟の裁判」 を申し立てたのです。 宮本元議長は、 治安維持法で弾圧され、 戦前十二年にわたる不屈の非転向を貫く獄中のたたかいの後、 戦後釈放され、 その治安維持法も廃止されたのですが、 玉置議員の主張は、 この治安維持法の廃止も宮本元議長の釈放も、 占領政策の誤りによるもので無効であり、 従って宮本元議長には有罪判決の刑期がまだ残っているから、 公選法の定めにより議員の資格はないというもので、 戦後の民主化の歴史も正しい法理論も無視する驚くべき反共の暴論でした。
 この玉置議員の訴えが全く成り立たないことは、 戦後の民主化措置として、 政府が治安維持法を廃止したことを受けて、 法務大臣が宮本元議長に対する判決原本に次のように記載していることによっても明白です。
  「本判決ハ勅令 『政治犯人等ノ資格回復ニ関スル件』 第一条ニ依リ将来ニ向テ其ノ刑ノ言渡ヲ受ケザリシモノト看做ス」
このように、 政府が稀代の悪法である治安維持法による有罪判決は無効であり、 刑の言渡しはなかったものと認めているのですから、 宮本元議長にはまだ刑期が残っているなどという玉置議員の主張がいかに歴史の真実と法の正義を無視する謬論であるかは明白です。
 この卑劣極まる反共攻撃に対して、 日本共産党も私たち議員団も断固としてたたかい、 私も、 法務委員会で質問に立ってこの問題を追及し、 瀬戸山法務大臣 (当時) に 「将来にわたってこの有罪判決の効果はないということは明らかである」 と答弁させました。
 私たちのたたかいの結果、 遂に玉置議員は自らの訴えを取り下げました。 その勝利の報告に行った私に、 宮本元議長が笑顔であたたかく握手をして 「ご苦労さんだった。 歴史は進み、 正義は勝つ、 だね」 と言って下さったことが忘れられません。
 そして、 一九八〇年の参議院選挙で私が大阪で落選した日の夜、 宮本元議長が私の自宅までわざわざ電話をかけて、 「橋本君、 何と残念なことだ。 明日という日がある。 元気でまた国会へ帰ってきてくれよ」 と励まして下さったのでした。
時代を拓く不屈の気概、 豪放・信念の人、 その重厚な風格のもとで、 実は心やさしい、 あたたかい人でした。
 宮本元議長、 ありがとうございました。 明日に向かってこれからも私たちは歩いていきます。

投稿者 jcposaka : 2007年08月09日

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