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平野屋新田会所党派超えた運動実る

2007年05月19日

国指定史跡で保存確実に
競売・落札された平野屋新田会所
党派超えた運動実る

 裁判所の競売にかけられ存続が危ぶまれていた大東市平野屋に残る 「平野屋新田会所」 は、 党派を超えた運動が広がる中で、 国指定史跡として保存されることが確実となり、 地元住民はじめ、 関係者は胸をなでおろしています。

 会所は開発された新田の経営と維持・管理のための事務所。 平野屋新田会所は1704 (宝永元) 年に大和川が堺に向けて付け替えられた後、 深野池、 新開池が新田として開発されたのにともない、 「深野南新田」 「河内屋南新田」 を管理するために、 1715 (正徳5) 年ごろ、 大阪の豪商・平野屋又右衛門が建設したと言われます。
 その後、 所有者は助松屋、 天王寺屋、 銭屋 (高松長左衛門) へと代わり、 高松家によって今日まで保存されてきました。

日本最大級のかけがえない遺跡

 表長屋門や大引天井の母屋、 屋敷蔵、 千石蔵跡、 庭園、 船着場など江戸時代中期の遺構が松など豊かな緑とともに残されています。
 平野屋新田会所は、 国史跡で建物が重要文化財に指定されている東大阪市の鴻池新田会所と並ぶもの。
 平野屋新田会所を考える会 (佐久間貴士会長=大阪樟蔭女子大教授) によると、 深野池の開発は、 日本の新田開発では最大級で、 池の埋め立てによるものとしては、 鴻池新田の新開池埋め立てをしのぐ、 日本最大級のもの。 「平野屋新田会所は、 日本の歴史を知る上でかけがえのない遺跡として国指定史跡の価値をもっている」 と保存の必要性を訴えています (ことし1月、 文化庁などへ提出した保存に関する同会の要望書)。

日本共産党も保存と活用を訴え

 宅地化の波が押し寄せる中、 保存を求める声は2000年ごろから地元を中心に起こり、 日本共産党の豊芦勝子市議らが再三、 議会で取り上げ、 保存と会所周辺の整備・活用を要求。 ことし3月には文化庁担当者が現地を視察するなど、 保存への動きが強まっていました。
  「平野屋会所保存推進会」 (植田善孝代表) の中川良男さん (73) は、 「一見、 こんな荒れ果てたものが何で文化財やという人もいますが、 表長屋門や母屋そのものは昔のまま。 縁側から望む庭園は生駒山を借景に造られ、 新田を所有した大阪の豪商の経済力と文化度をうかがうことができる」 と言います。
 平野屋新田会所を長く管理してきた井戸上行男さん (72) は、 「無断で侵入する者もおり、 早く整備してほしい。 緑の少ない町で、 この一角だけは緑も豊かです。 保存が決まれば、 これからが楽しみです」 と話しています。
 日本共産党の豊芦議員は 「大東には古堤街道など3つの街道が通り、 大阪から京都や奈良に通じる地。 また大坂と河内の村々を結ぶ舟運の要所であり、 産業交通の拠点だった。 平野屋新田会所を中心に、 歴史、 文化育む町づくりを日本中に発信できる」 と期待しています。

投稿者 jcposaka : 2007年05月19日

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