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八尾市長選 永井きみ子候補インタビュー 《8面》

2007年02月18日

八尾市長選挙
同和行政終結、市民生活守る防波堤に
「公正・民主の会」代表委員
永井 きみ子さん

 いっせい地方選挙後半戦の八尾市長選挙 (4月15日告示、 22日投票) に 「公正・民主的な明るい革新八尾市政をすすめる会 (公正・民主の会)」 代表委員の永井きみ子さんが革新無所属で出馬します。 日本共産党八尾市会議員として6期24年の試されずみの政治家。 「今こそ同和行政やめ、 痛み押し付け・弱者いじめの政治から、 市民の命・暮らし・営業守る市政に変えたい」 と全力を挙げている永井さんに、 市政転換の決意や抱負を聞きました。

---昨年12月19日の出馬表明から2カ月。 さまざまな期待や激励が寄せられていると思いますが。

永井 はい。 連日、 各界・各団体の皆さんと訪問・対話を重ねていますが、 「今度こそ市長を変えなあかん」 という声が多いですね。 まず何よりも 「同和行政の終結は市長を変えない限りあかん」 という声です。

---市発注の公共事業に絡む恐喝事件で 「部落解放同盟 (解同)」 安中支部相談役の丸尾勇容疑者が逮捕されたのは昨年8月。 同和行政の歪みが改めて浮き彫りになる中で、 柴谷市長の責任が問われていますね。

永井 その通りです。 八尾市では国の同和対策特別法の下で33年間に1400億円の予算を投じて同和行政を進め、 同和地域内外の格差をなくす環境改善事業も終了していました。 国の特別法が02年3月末で期限切れとなったときに、 きっぱり同和行政をやめるべきだったのです。

「解同」との癒着続く現市政 

 ところが8年前に当選した柴谷市長は、 就任直後に 「解同」 との集団交渉を復活し、 「同和」 を 「人権」 と言い換えて同和事業を続けてきました。 公共事業の不正や数々の暴行・傷害事件などの背景には、 主体性を失った市政と 「解同」 との癒着があるのです。
 丸尾逮捕で市民の怒りが高まる中、 柴谷市長は 「同和関係団体等と委託事業等検討委員の会」 を設置し、 その提言を受けて一定の見直しに着手していますが、 最近市長が示した提案では、 「解同」 の別組織である人権協会に引き続き補助金を出すなど、 根本解決にはなっていません。
 乱脈同和の問題を一貫して追及してきたのが日本共産党。 その議員団長だということが、 今回 「公正・民主の会」 から推薦を受ける理由の一つだったし、 同和行政終結の仕事ができるのは日本共産党員である私しかないと、 立候補を決意しました。 「解同」 との癒着や行政介入を許さず、 不正や暴力、 恐喝のない、 開かれた市政をつくりたいと思います。

本来の役割取り戻す

---市民生活の面ではどうでしょうか。

永井 党議員団が昨年取り組んだ市民アンケートには、 1千通を超える回答が寄せられ、 国保料や介護保険料の負担増への怒りが圧倒的です。 この間の訪問・対話でも、 介護保険制度の改悪で 「ヘルパーが来なくなった」 「車いすが使えなくなった」 など、 具体的な相談が寄せられます。 まさに、 ぎりぎり一杯の声が満ちあふれています。
 憲法25条と地方自治法に基づき、 住民の命と暮らしを守るのが自治体本来の役割。 ところが柴谷市長は国の 「構造改革」 について 「(改革は) 時として痛みを伴うもの」 などと述べ、 国保料の値上げや福祉金・見舞金などの廃止・改悪を強行してきました。
 自治体があるべき姿を取り戻そうとすれば、 市民の暮らしを守る、 福祉を充実するというのが当然ですから、 税金の使い方を変えていく。 同和行政終結と不公正な予算の見直し、 税の増収分、 公共事業落札率の引き下げなどで生み出した財源を、 市民支援の施策に重点的に活用したいと思います。

---八尾市は東大阪と並んで、 全国有数の中小企業の街ですね。

永井 はい。 ところが市内の事業所はこの4年間で12・3%も減少するなど、 深刻な状況。 コクヨ跡地への 「アリオ八尾」 (イトーヨーカ堂) の進出など大型店の無秩序な出店許可が地域商業に打撃を与えています。
 八尾では長年の運動の成果で 「中小企業地域経済振興基本条例」 が制定されています。 地域経済の厳しい状況を打開するには、 振興基本条例に沿った施策の充実が急務です。 市民の要望があるのに、 「財政難」 を理由に凍結されている 「産業振興センター」 を早期に建設し、 中小企業の経営・技術開発支援などで行政の光を当てたいと思います。

---日本共産党との出会いは。

結婚の決意と入党の決意 

永井 夫 (永井守彦さん・元大阪市役所労組委員長) が党員だったのです。 結婚する相手が夜遅くまで活動していて、 一体何をしているのか、 妻になる私が知らないのはかなん (笑い)。 「理解したい」 という素朴な思いで、 66年に結婚の決意と入党の決意を同時にしました。
 恩師の影響もありました。 京都で中学校時代の担任だったのが木村万平さん。 のちに京都市長選 (89年) や京都府知事選 (90年、 94年) に革新・民主の候補として出馬された方です。
 木村先生は 「広い視野で物事を見る」 「自分だけが苦しんでいるのではない。 世の中には矛盾がたくさんある」 と話しておられました。 先生から 「いまどうしてる?」 と聞かれたとき、 「今こうしています」 と答えて恥ずかしくない生き方をしたいと願ってきました。 それが共産党員と結婚し、 入党する決意につながったと思います。
 日本共産党の活動や住民運動の大切さが実際に分かったのは、 73年に八尾のたんぽぽ共同保育所の保育士になってから。 71年に黒田革新府政が誕生したことで、 無認可保育所に府の補助金が出ました。 75年には八尾で革新市政ができ、 たんぽぽ共同保育所も市の認可施設になって、 市から委託料が出るようになりました。 知事や市長が変われば政治と暮らしが変わることを実体験しました。 それだけに、 今まさに、 市政を変えなければならないと思っています。

---83年に市議初当選されて以来、 6期24年活躍してこられましたね。

永井 議員活動の中では、 保育士出身ということもあって、 同和地域の保育所に一般地域の子どもたちが入れるようになったことが印象に残っています。 同和地域の保育所は空きがいっぱいあるのに、 他の保育所は待機児があふれていましたから。 八尾で革新市政が誕生した当時は、 建設予算の55%が同和地域に使われ、 利権あさりの対象になっていました。 それを減らしていき、 個人給付の見直しや同和関連施設の開放を進めてきました。

弱い立場の人に光を当てる

 最初の選挙以来、 私は 「母と子、 高齢者と障害者の幸せを守る」 を公約にしてきました。 乳幼児医療費無料化、 高齢者の白内障の眼内レンズもわが党の要求で実現したものです。 弱い立場にある人たちに光が当たってこそ、 市民全体も幸せになれる。 それが今も変わらぬ立場です。

---市長選には、 永井さんのほか、 柴谷市長、 元市議、 民主党府議、 元市議会議長と5人が出馬表明し、 激戦の様相ですね。

永井 同和行政については柴谷市長も 「見直し」 を主張していますが、 さきほどお話したように 「解同」 との癒着は正そうとしていない。 他の候補も、 市議時代の言動や所属政党からみて、 本当の意味で同和行政をきっぱり終結できるのは私しかないと思います。 また、 他の候補も国が進める 「構造改革」 路線に賛同しています。
 悪政から市民を守る防波堤となって市民の暮らしと営業を守れる市政を実現できるのは、 私しかないと確信しています。

投稿者 jcposaka : 2007年02月18日

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