政策・提言・声明

2015年11月01日

わたなべ結
橋下市長による「慰安婦」問題での
恥ずべき「公開書簡」

「ナヌムの家」を3年前、訪れて

「ナヌムの家」で元「慰安婦」被害者のハルモニと交流したわたなべさん=2012年9月、韓国京畿道広州市内

「ナヌムの家」で元「慰安婦」被害者のハルモニと交流したわたなべさん=2012年9月、韓国京畿道広州市内

 2012年9月、私は旧日本軍「慰安婦」被害女性が共同生活をしている「ナヌムの家」を訪れ、1992年以来続けられているソウル・日本大使館前での「水曜集会」に参加しました。訪韓の大きなきっかけは、その前月、橋下市長が「『慰安婦』を強制連行した証拠はなかった」と発言したことを発端に、歴史の事実を歪める言動が再び強まったことでした。
 橋下市長は2013年5月にも「『慰安婦』制度が必要なのは誰だって分かる」と発言し、内外の大きな批判をあびました。そして今年8月には、姉妹都市である米カリフォルニア州サンフランシスコ市議会が「慰安婦の碑または像の設置を支持する決議案」を審議していることに対して決議案採択に「懸念」を表明する「公開書簡」を送り、恥ずべき態度をさらけだしました。サンフランシスコ市議会は全会一致で決議しました。
 橋下市長の一連の発言は、歴史の事実を歪め、女性の人権を踏みにじるものであり、到底許されるものではありません。アジア諸国と真の友好関係を築き、国際社会の中で信頼ある日本へと変えていくためにも、橋下市長の「公開書簡」への批判を加えたいと思います。

「公開書簡」の中心問題

ソウルの日本大使館前での水曜集会で発言するわたなべさん=2012年9月、韓国ソウル市内

ソウルの日本大使館前での水曜集会で発言するわたなべさん=2012年9月、韓国ソウル市内

 「公開書簡」は和訳で8000字に及ぶものですが、その内容を一言でいえば、“「慰安婦」問題は日本だけが悪くない。これは世界各国もやっていた「普遍的」問題だ”というものです。これは問題を恣意的に一般化することでその罪を軽く見せようとするものであり、そこに見えるのは、自らの一連の暴言への反省どころか居直る態度です。
 「世界各国もやっていた『普遍的』問題」といいますが、国家が関与し「慰安婦」制度をつくったのは、大日本帝国とナチス・ドイツだけであり、他に例をみないものでした。同時に、世界各国で過去の多くの戦時性暴力が処罰されないままにおかれていることに、国際社会としてこの「不処罰の連鎖」を断ち切るうえからも、日本の「慰安婦」問題への注目が集まりました。国際社会は真剣に戦時性暴力の根絶を目指しているからこそ、日本政府の態度を厳しく問い続けているのです。
 記憶に新しいところでは、例えば、2007年7月にはアメリカ下院で、12月には欧州議会で、「残虐性と規模において前例のない20世紀最大規模の人身売買のひとつである」(アメリカ下院121号決議)「慰安婦」制度のもと、「若い女性に性奴隷を強制した皇国軍の歴史的かつ法的責任を、日本政府が明確かつ曖昧さのない形で公式に認め、受け入れ、謝罪するように求める」(欧州議会決議)と、続けざまに厳しい決議があげられました。
 こういった国際的動向や日本政府に対する厳しい目が見えない橋下市長の今回の行為は、日本をより一層、国際社会から孤立させるものにほかなりません。

橋下市長の手法の問題    

 「公開書簡」の中で橋下市長が大きな拠り所としているのは、かつての「吉田証言」が虚偽だったと「朝日」が訂正記事をだしたことです。そしてこれを根拠に、「強制連行」はなかったかのように描き、「慰安婦」を「軍性奴隷」と断罪したクマラスワミ報告(クマラスワミ氏による1996年の国連人権委員会特別報告)の正当性も崩れたかのように述べています。
 しかし、この「吉田証言」が虚偽であることは、研究者の中では早くから常識になっていました。また、この問題が重大な政治・外交問題となった1990年以降、幾人もの被害女性の勇気ある証言の積み重ねによって、「強制性」の裏付けがなされてきました。そのことは、昨年10月、この「吉田証言」撤回をもとに日本政府がクマラスワミ氏に報告の一部撤回を要求した時に、クマラスワミ氏が「報告書はほとんどが『多数の慰安婦』の証言に基づいており、吉田証言は引用されはしたが、結論においては大きな役割は果たさなかった」として拒否したことにも示されています。
 「河野談話」にも「吉田証言」はいっさい採用されておりません。「吉田証言」が虚偽だったことをもって、強制連行はないとか、クマラスワミ報告は正当性がないとの主張は到底成り立つものではありません。
 思い出してみれば、2012年に橋下市長が「『慰安婦』を強制連行した証拠はなかった」と発言したときに「錦の御旗」にしたのは、「強制連行を直接示すような記述は、1993年8月までに政府の発見した資料にはなかった」とした2007年の第一次安倍内閣の閣議決定でした。
 いつでも「借り物」の理屈で、みずからの暴言を正当化しようという情けないものです。
 第一次安倍内閣の閣議決定でいうところの「強制連行」とは、「軍・官憲による暴行・脅迫を用いた連行」という極小化されたものでした。しかし、「慰安婦」問題での「強制性」というものは、「強制連行」のみに矮小化されるものではありません。「強制連行」の有無にかかわらず、いったん日本軍「慰安所」に入れば監禁拘束され強制使役の下におかれた――自由のない生活を強いられ、強制的に兵士の性の相手をさせられた――性奴隷状態とされたという事実こそ、世界から厳しく批判されている日本軍「慰安婦」制度の最大の問題点です。
 加えて、1991年以降提訴された、元「慰安婦」が日本政府を被告として謝罪と賠償を求めた裁判10件のうち8件において、元「慰安婦」たちの被害の実態が詳しく事実認定されてきました。これら一連の判決は、「河野官房長官談話」(1993年)が認めた、「慰安所」への旧日本軍の関与、「慰安婦」とされた過程における強制性、「慰安所」における強制使役などを、全面的に裏付ける事実認定を行いました。加害国である日本の司法が下した判断というところにとりわけ重い意味があると思います。
 安倍政権は「強制連行はなかった」と閣議決定をしている一方で、「河野談話」については「継承する」といっています。しかしそのことが大きな矛盾となり、今年の戦後70年の「安倍談話」は、他人事の様な侵略戦争と植民地支配に対する反省とお詫びしか言えない状況に陥りました。今回の橋下市長の「公開書簡」にも「河野談話」は一切でてきません。最大のごまかしの一つがここにあります。
 「慰安婦」問題は1991年に金学順さんが勇気ある証言を行って以来、日本の内外で多くの調査や研究、運動の発展が積み重ねられました。橋下市長は、こうした蓄積には何ら関心を払わず、自分で調べようともせず、都合の悪い事実はいっさい無視し、借り物の議論を展開しているだけです。
 歴史を歪める橋下市長にこの問題を語る資格はありません。

橋下氏は市長として撤回・謝罪を      

 橋下市長には、市長として発言した一連の発言を謝罪・撤回してから辞職することをあらためて求めます。
 同時に、橋下市長の「後継者」たちの態度も問題です。松井知事は、橋下市長の一連の発言に便乗し、みずからも「慰安婦」問題での真実を歪める発言をおこなっています。松井知事が、高校教科書の「慰安婦」に関する記述内容について問題視して、補助教材を作成し、府立高校に配布する方針を打ち出していることは重大です。
 また大阪市長選挙に出馬を表明している吉村氏は、この問題について何一つ言及せず批判することもしていません。
 どちらにも戦後70年の大阪のリーダーを任せるわけにはいきません。
 この面からもダブル選挙で「維新政治」に退場の審判をくだし、世界に恥じない大阪を取り戻すために全力をあげる決意です。(わたなべゆい・日本共産党大阪府委員会青年学生員会責任者、参院選大阪選挙区予定候補)

(大阪民主新報、2015年11月1日付より)

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