おおさかナウ

2022年06月18日

この党伸びてこそ
日本共産党に期待します
人の命ほど尊いものはない
大阪狭山市在住 土屋由紀子さん(82)

 戦争の記憶で耳の奥に残っているのはあの恐ろしい「音」です。1945(昭和20)年3月17日未明の神戸大空襲の時、私は5歳でした。真夜中に起こされ防空頭巾をかぶり、幼い弟を抱いた両親と一緒に数百㍍離れた防空壕に逃げ込みました。
 20人ほどが息をひそめた壕の中はかび臭く、B29の不気味なエンジン音と「ヒュルヒュルー」という焼夷弾の音に恐怖を感じました。
 火の海となった神戸は廃墟と化し、4月に一緒に幼稚園に入るはずだった幼なじみも犠牲になりました。戦局悪化とともに神戸は危険だと軍需工場勤務の父を残して和歌山へ疎開しました。食料不足が深刻で、着物を米と交換するため母親は私を連れて何度も何度も農家へ足を運びました。
 神戸市林田区(現長田区)にあった生家は6月5日の空襲に遭い、思い出のひな人形や1度も着ることのなかった幼稚園の制服も焼けました。
 小学校2年生の時、わら草履の編み方を覚えました。疎開先の学校にはランドセルと靴の子どもはほとんどおらず、1度だけ靴を隠されたことがあり、幼心にわら草履なら大丈夫だと考えたのです。
 農家に行って稲わらを分けてもらい、余分な葉をそぐ「わらすき」や木槌で柔らかくする「わら打ち」を行い、なった縄で編み上げます。兄と姉、弟の分も作ってと頼まれるようになり、日曜日には4人分を朝から晩まで編み続けて手がボロボロに荒れました。
 戦火にのまれるウクライナの子どもたちの姿は私の空襲体験と重なります。戦争で多くの人が犠牲になったかと思うと悲しみが込み上げます。
 人の命ほど尊いものはありません。旧日本軍の侵略戦争に命懸けで反対した日本共産党のような政党は他にありません。誇りに思える政党です。戦争放棄を定めた憲法9条を守って、子どもや孫たちの世代に平和な社会を手渡すため、参院選でこの党を大きく伸ばしたいです。

(大阪民主新報、2022年6月19日より)

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